つらまりブログ

つらまったりもしたけれど、私は元気です。

17の冷めた瞳に問いかける

最後の一錠ずつのおくすりセットを昨夜飲んで寝たためか比較的疲労感なくぱっちり目が覚めた。あと2日おくすりなし…。

ここまでちょっと暗いネタが続いたので、好きなものについて語ってバランスを取っておこうと思う。


私は筋肉少女帯というバンド、及びオーケンの書く歌詞の世界観が大好きだ。信仰しているといっても過言ではないくらいに好きだ。何かHELLSINGみたいだな。

そのわりにまだライブに行ったことはない(初めてのことがこわい)のだけど今度初めて行くつもり。グッズもこないだ初めて通販で買ったとかいうそんなレベル。メンバー個々人の人となりにはそんなに興味がなく、誕生日とか別に言えない。あんまり真っ当なファンじゃない。

でも、出てる曲はほぼ全曲網羅する勢いで押さえてるし、歌詞が精神に影響を与えすぎていて(なので信仰という表現がぴったり)、何かというとすぐ歌詞の一節が思い浮かぶ。人にそれを伝えたことはほとんどないけれど。実はこのブログのタイトルも歌詞や曲のタイトルから取ったものばかりだ。検索してみると元ネタを知れるだろう。

たぶんこのブログもゆくゆくは全曲レビューに近いことになっていくと思う。

そして世代でもないのにどうして出会ったかという話もそのうち書いておきたい。


筋少で一番好きな曲は何か、と聞かれるとやっぱり私は「小さな恋のメロディ」だと思う。

私は基本的にメタラーなのでああいうメタルに寄ったような曲がどうしてもグッとくる。筋少は自称ロックバンドだし世間的にもそう知られているようだけど、橘高さんがいるためか結構メタルな曲も少なくない。まあロックの中の1ジャンルがメタルらしいので間違っちゃいないのだけど。うーん音楽のジャンルの話はよくわからん。


話を戻すと、この曲を最初に聴いたとき前奏が仰々しすぎて鳥肌が立ったのを覚えている。劇的で仰々しいメロディ大好き。しかも前奏超長い。


歌詞に登場しているのは、どうやら年齢的に多少落ち着いたらしいオーケン自身と、なんだか厭世的な17歳の女の子。

「17の幼い君を抱きしめる」というフレーズと最初に出会った時私は15歳だった。17歳。高2。世間的には17は幼いのか…と思った。今ならその感覚がわかるけど。 

17歳に近づいていった2年と、17歳の1年と、17歳を追い越していった後も、ずっとこの曲を聴いている。もうこの曲も10年近く大好きでいる。曲中の女の子はずっと17歳だ。


「あたし今日ね 昔の映画を観たの『小さな恋のメロディ』よ」

このフレーズのせいで、あまり映画に親しんでなかった当時から私は(昔の)映画にいい印象がある。いやまあ他の曲にも映画とかシネマとかたくさん出てくるのだけど。作られた虚構の世界ならではの美しさ。世界の上澄みという感じがする。今職場でちょこちょこ面白い映画に連れていってくれる映画好きの先輩と仲良くなれて幸せだ。

小さな恋のメロディ」という作品も元ネタ聖地巡礼として観なければなと思っている。


歌詞中で女の子が語ることには、劇中の二人はトロッコに乗って逃げていく、らしい。

そのトロッコはどこに行ったのか?という問いに対し「きっと地獄なんだわ」という女の子の答えが畳み掛けられる。

なんだろうこの救いのなさというのか危うさというのか。


2番はもっと危うい感じがする。二人とも心中しそうな勢い。

世界への憎しみはもう忘れたと語るオーケン(?)。そして二人は死んでもただ消えるだけだから怖くないというようなことを語り合う。

この冷静なようで衝動がマイナスとなって内に向かってしまったような感じ。


この曲の真髄はラストのセリフにあると思う。前奏と同じメロディに乗せられて静かに語られるセリフに鳥肌のスタンディングオベーション

「いや、ちがう 我々が思うほど この世界は哀しくプログラムされちゃいない

何より もうこれ以上 君の周りに 不幸の存在を 俺は 認めない」

全編壊れそうな危うさ全開で通しておきながらここに来てこういう一縷の希望をちらつかせるようなことをする。そのバランス、匙加減が憎い。

ていうか「認めない」っていいよね…。あるとかないとかじゃなくて認めない。意思の強さを感じる。このぐらいの強さで大人に守られてみたかった。もう大人なんだけど。


なんか結局ちょっと暗くなってしまった。けれどとにかく私はこの曲が世界で一番好き。

バスカーヴィル家の犬

今日は職場で倒れてしまって早退させてもらった。繁忙期なのに…。

昔から疲れがリミットを超えると立ちくらみを起こしてダウンする体質で、1回/1〜2年くらいでやってしまう。しかし疲れってなかなか自覚できないし、ていうか基礎疲れポイントが高いしで、何が無理で何が平気なのかいまだによくわからん。

まあでも繁忙期ということで普段よりは疲れる要素が多かったところに、昨日過集中をキメすぎたかなと反省している。


ということで過集中についての傾向と対策を考えようと思う。


過集中、それは発達障害者に与えられたあまりにもハイリスクハイリターンな唯一の武器。脳内エナドリ。常にザ・ビースト。


いけるタイプの物事に取り掛かると、時間と寝食を忘れてのめり込んでしまうために、しばしば健常者よりハイパフォーマンスで物事を行うことができる。しかもとっても気持ちいい。これだけ聞いてると夢の永久機関!ネオ人類!という感すらある。


しかし何がいけるタイプの物事になるのかは選べないし、そもそものめりこみスイッチを入れるかどうかの選択の自由も本人にない。スイッチが入るジャンルのことをやると自動的にスッと過集中状態に入ってしまう。そして別のことができなくなる。頭の中に、獲物の匂いを嗅ぎつけたら一直線に走り出す猛獣を飼ってるようなもので、非常にコントロールが難しいのである。下手をすると自分が食われる。

一度手書きPOPを職場で描いたら頭が切り替えられなくてそのあとめちゃくちゃぼーっとしてしまい、やらかすとかの実害は出なかったけどこれは持ち帰ってやらないとヤバいと焦ったりしたこともある。


過集中に入るとまず時間が止まる。というか時計を見なくなる。時計が目に入っても情報として頭が処理してくれない。3時とか4時とかの存在感のある時間になってくると多少圧が働いてやめなくてはという気持ちになるけれど(圧システムについてはまた別の記事で)。

重症な人だと寝食どころかトイレまで忘れるとか、数日続くとかいう場合もあるらしいけど、私はせいぜい数時間〜2日ぐらいかな。軽いほうだと思う。なのでまだギリギリ制御できる。


もう一つの重大なデメリットは、のめり込んだ後の反動がすごいこと。のめりこみ中、主観的には無敵モードになる。疲労を感じなくなる。しかし実際のところはスターを取ったという妄想に取り憑かれたままマップ上を爆走するマリオでしかない。ちゃんと残機は減っている。

疲労はまとめて後からやって来る。計画性のない人のクレカの請求と全く同じ構図で、給料日まで三食TKGする羽目になる。


このようなあまりにも制御が難しく犠牲が大きい武器しか装備させてもらえないのが我々なのである。キャラメイクしたやつ誰だ出てこい。

とはいえ規格外に強力なのは事実で、諸々の条件やタイミングが噛み合った場合に出せる最大瞬間風速は結構すごい。力こそパワー。そのせいでうっかりするといけるタイプの分野で成功してしまう。すると成功体験として記憶されてしまうので、そのうち過集中依存になってしまう…という感じで警鐘を鳴らしている人もいたような気がする。

でもこれしかできないからこれでやっていくしかないんだよね…。


私の場合は、勉強と、絵や工作と、文章の読み書きが過集中することになっているジャンルだ。その辺のジャンルではよく評価してもらえる(もらえた)。だけど通常では考えられないレベルで時間と労力を投入しているのである意味当然なのである。普通命(健康で文化的な最低限度の生活)を削って勉強はしないのだと気づいたのはいつだったか。

ほどほどに頑張ることはとても難しい。


今仕事でもかなり過集中頼みになっている。深夜書類に目を通していると、気がつくと2時!明日は早番!詰んだ!オワタ!といったことによくなる。でもよくないことに、今はそれで周りについていくのに精一杯なくらいで、決して評価されてはいない。

この状況はちょっとまずい。


あっ語るだけ語って全然傾向と対策考えてないうえに過集中しちゃった…。

やめよう。

サーチライトは月の光とともに

結局今日の休みはトータル20時間近く寝てしまった。過眠である。やっちまった。病院に行けてないので薬がない。病気のせいで病院に行けないというくるくる回る無限ループ構造の中に陥ってしまった。仕方なく明日は丸腰で働きに出る。

外の世界というのはモンスター蠢くRPG世界のようなもので、村の門のあたりをうろついているNPCに装備なしで出るなんて危ないと止められてしまうのだ。そう信じている。4年ほど前、20歳の頃に晴れてメンヘラの烙印を押されたその日から。


まともな治療をなんにもしていないいわば野良メンヘラだったときの期間を含めるともう10年以上は精神を病んでいる。野良だったときの期間の方が長い。なのでまだ頭があんまり本調子じゃない感じがする。というか、二度と戻らないのかもしれない。


さっきからメンヘラメンヘラと言っているが私の持ってるのは双極性障害Ⅱ型だ。そう名前が付いている。一応。あんまり典型的なやつでもなさそうだけど、とりあえず薬は効いている。


この記事では私の人生のかなりの割合を占めるメンタルの問題についてまとめておく。いつか私が双極初心者だったころ、ネットを深くまで読み漁ってこんな人もいるのかーと安心を得たものだったけど、それを後進に提供できればと思っている。


私が病み始めたのは小学校高学年くらいだと思う。それまでもちょこちょこ消えてしまいたいとか自分が嫌だとか思うことはあったけど、もっとそれがはっきりしてきたのがちょうどそのくらいだった。

4年生のときの担任がわりと頭のおかしいタイプで、クラスは学級崩壊していた。このストレスが結構引き金だったのではないかと睨んでいる。時々鬱っぽくなったり、死にたくなったりしていた。夜中寝ようとすると、よく勝手に涙が出た。


中学校に入って、楽しい学校生活の傍らゆっくりと鬱がひどくなっていった。ちゃんと楽しく過ごしていたけど、でも本当に憂鬱で、受験も終わって卒業したら自殺しようとはっきり思っていたことを覚えている。結局何か流されて生き延びてしまったけれど。私の人生はあそこで一度終わっていて、あとはおまけみたいなものだ。


でも中学生のときはまだギリギリ健康の範疇だったと思う。高校に入って決定的にダメになった。勉強が何も頭に入らないし、なによりも毎日眠すぎて何もできない。帰ってくるといつも床で寝ていた。というより倒れていた。今思えば過眠以外の何物でもない。足のつかない深いプールを延々と泳がされているようなイメージをよく抱いた。


中学だったか高校だったか、保健の教科書に載っていたストレスチェックみたいなので即病院に行けみたいな結果が出たけど、こんなの誰でもこうなるだろうと当時は本気で思っていた。


高3のある日、なんとなくその辺にあったベルトをベッドの柵に引っ掛けて首を吊ろうとして我に返ったことがあった。ちょっとした自殺未遂だ。でも病院には行かなかった。


10代の10年間、薄々自分は鬱じゃないのかと思っていた。自殺未遂までしておいて薄々って何なんだよと今なら思う。でもそんなにチェックリストに当てはまらないし、他の人も頑張ってるんだからと頑張り続けた。不完全にしか頑張れない自分を責めた。


本格的に頭が壊れていった。好きな漫画を読んでも全然面白くなかった。本が読めなくなった。目が滑る。同じところを10回読む。いつのまにか寝ている。座っていられないで横になってしまう。食欲はなくなるというより私は増えた。眠くて仕方なかった。いつのまにか泣けなくなっていた。


駄目押しになったのが、勉強時間を確保するために、帰ってすぐ寝て明け方起きて勉強するという生活スタイルに無理やり変えたことだったと思う。あれはよくなかった気がする。まあ、それもそのうち帰ってすぐ寝て明け方起きてまた寝るという寝てしかない生活スタイルに変わっていったのだけど。


受験が終わって転機が訪れる。といってもまだ病院には行かない。軽躁になったのだった。金遣いが荒くなった。1週間か2週間程度で10万円くらい使った気がする。対人恐怖症気味だったのに、美容院や服屋さんに行っては店員さんと喋りまくった。対人恐怖症はそこで何か克服してしまって、今も接客業なんかやっているのはちょっと面白い話。


奇跡的に現役で第一志望の大学に入って、しばらくして躁は落ち着いた。また鬱になった。

もともと時間にルーズな方だったけど、遅刻することがどんどん増えた。気を抜くと1時間とか平気で遅れる。不眠と過眠を周期的に繰り返した。

頭の中はぐちゃぐちゃだった。道を歩けば車に轢かれることを考えて、駅に着けば電車に飛び込むことを考えて、不謹慎な話だけどニュースで人が死ぬとちょっといいなあと思い、それ以外だといつもロープを引っ掛ける場所を探していた。


それでも表面上は他の人と同じように楽しい学校生活を送った。他の人もこうやって壮絶な努力をしてまともな人間ぶっているのだと信じて疑わなかった。

狂人は自分の狂人ぶりに気づけないものだ。


ちなみに、友達や家族で私の異常さに気づいた人は誰もいなかった。まともぶりスキルがどうやら私はめちゃくちゃ高いらしい。

まああと家族は手のかかる弟に夢中で私のことにはあんまり関心がなかったようだけど。


話を戻すとある時、何かのアンケートで死にたいと答えたら大学の保健センターから連絡が来た。私はそんなことより遅刻しすぎてちょっとやばいということを相談した。そうしたら睡眠時間をなんとか頑張って確保しましょうということになった。

私の希死念慮は日常茶飯事すぎて「そんなこと」になっていた。深く突っ込まなかった保健センターも大概無能だと思うけど、保健センターもここまで鬱がこじれた人のことは想定していなかったんだろう。


あんまりにも何にもならないので、私はついに精神科の受診を本格的に検討し始めた。

近所に病院を見つけたので行った。

これまでのことを話した。軽躁エピソードが決め手となって双極性障害II型の診断が一発で降りた。

ラミクタールをもらった。飲んで寝た。


翌朝、世界は静寂に包まれていた。

あ、今まで頭の中ぐちゃぐちゃだったんだと気づいた。

ゴミ屋敷のようだった頭の中が一夜でミニマリストの部屋のように片付いていた。

一拍遅れてものすごい勢いで色鮮やかな世界が迫ってきた。10年かけて灰色になった世界が一夜で色を取り戻した。


まあ多分プラセボもあるんだと思う。本当は薬って2週間ぐらい飲まないと効かないものだし、そのあと私は薬を変えるたびにこの感覚を味わうことになったので。


でも薬は着実に私を良くした。比例のグラフのように直線的にはいかなかったけれど、株式チャートみたいにガタガタと三歩進んで二歩下がりながらも右肩上がりになった。

副作用も少しは出たし、急に何もかもよくなったわけではなかったけど、壊れた頭は少しずつよくなっていった。


20代に入って、医療と出会って、やっと人生が始まった感じがした。生きていたいという多分普通の気持ちが一時的にでも持てるようになった。

本が読めるようになったとき私は嬉しくて泣いた。とりあえずまともに本が読めるようになるまで2年かかった。

記憶力は少しよくなったけどまだ治りきっていない。10年服薬したら元通りになれるものかなあ。

どうだろう。


もっと早く病院に行っていればなと思う。

そうしたらもうちょっとちゃんと勉強もできたはずだ。せっかく勉強できる環境と頭に生まれついたのに。もう一段上の大学にも行けてたんじゃないかと思う。まあ、この大学で得たものもいろいろあるから、そんなに未練があるわけじゃないけど、やっぱりその選択肢も得られてたはずで…というのは引っかかる。

遊ぶことももっとちゃんとできていたはずだ。10代後半で本を読めなかったのは個人的にあまりにも痛手すぎる。今もなかなか遊ぶエネルギーが無くて困っている。とりあえず積極的に人の誘いとかには乗るようにしている。失われた10年を取り戻したい。


今だってよくなったとはいえ不完全だ。月に1回くらい今日みたいに寝るしかできない休日があるし、急に空気が抜けるように鬱サイドに落ち込んでしまうこともあるし、読んだ本も観た映画も何も覚えてないし。とてももどかしい。


ところで私の好きなオーケンも双極とは違うけど鬱をやっている。かの有名な「うつヌケ」とかにも出てるらしい。読んでないけど。それだから「サーチライト」みたいな曲を書いている。

オーケンはよく人生を綱渡りに例えるんだけど、そのタイトロープを照らす導きの光になるような言葉を書きたいという決意表明のような一曲。

これに、途中で歌なんだか朗読なんだかというようなセリフが入る。

「この世にはさ なりたくもないのに時々ね、暗ーくなっちまう奴っていうのが たくさんいてね 随分面倒な目にあっているんだよ 

それは本当にやっかいでね オレもその一人だったんだ」


やっぱり正直健常者のことは羨ましいし妬ましい。ルサンチマンがすごい。だからこそ周りの人が自分と同じ道を辿ろうとしていたら全力で止めたい。私の道は誰も照らしてくれなかったけど、誰かの道を照らしてあげることはできる。実際今までに友達を何人か病院に行かせたことがある。


もしインターネットの海の中でいつか野良メンヘラな人がここに流れ着いたら、ちゃんと病院に行ってくれますように。

だーっと書きなぐった全然整理されてない文章だけどそれだけを祈っておく。


「俺みたいにはなるなよ」だよ。

マリーは代わりに落ちていった

明らかに昨日の夜から過集中している。

病院の当日予約を取って薬をもらいに行かなければいけないのだけど文章を書くのがやめられない。


特撮に「身代わりマリー」という曲がある。ブログタイトルはそこから取った。めちゃくちゃよく聴く曲ではないけどなんだか好きなのである。


メンヘラビッチだけど読書家な少女マリーが誰かの身代わりになって落ちていくという、まとめてみるとよくわからない歌詞。でもメロディもノリがいいし、ちょろっと文学ネタが入ってたりもする。


知ってる人は知ってる話だけど、私はときどき粘土で小さなマスコットを作る。それは高校生の頃に始めたことで、最初に作ったのは美術部の活動時間中だった。一つ作って完成して、壊れたら嫌だから手に持って帰ろうと思ってエレベーターに乗ったとき(私の母校は地価の高い都会の真ん中にあるので、建物の面積が狭くてやたら階数が多く、美術室は7Fにあった)、扉と籠の隙間にマスコットが偶然手を滑らせて落ちてしまったのだった。


エレベーターのあの隙間というのは実は物が落ちたが最後二度と取り出せない恐怖の深淵なのである。結構かわいくできていたマスコット第1号は永久欠番になってしまった。今も誰も顧みない暗闇の中で形を保っているのだろうか。それとも7Fの高さから落ちた衝撃で粉々になっているのだろうか。わからないけど、私はあの第1号のことを忘れたことはない。


私は落ちていったものに対して身代わりマリーを聴いて喪に服した。何かの身代わりとして落ちていったものということで名前は自然とマリーになった。他のシリーズマスコットにはっきりした名前はないけれど、1号だけが固有の名前を持っている。

そんな個人的な思い出もある。


歌詞の中では「マリーの孤独は普遍的で僕たちの共通項」というフレーズが一番好きだな。特撮を聴くような人間はたいていある面では孤独なんだけどそれはよくある孤独であって、同じようなものを抱えた人は他にたくさんいるということだと思う。もっとしょうもない言い方をすれば一人じゃないよということなんだろう。でもひねくれているのでこのくらい回りくどい言い方をされないと受け入れられない。一人じゃないよと面と向かって言われた日にはムカついてしまうだろう。うーん朝三暮四。


いい加減に文章を書くのをやめなければ…。でも仕事の山場を乗り越えたんだからと一日中ゴロゴロしてたい気持ちもある。

眠い。

暴走するメタファー

私は例えたがりだ。


たがるというか文章を書いていると勝手にイメージのほうから降ってくる。そしてひとりでに動き始める。イメージに合わせて考えのほうが調整されていくように感じられる節さえあるような。二つ前の記事が思いの外ラピュタでまとまってしまって気づいた。


なんかもう病的なくらいに、普通あんまり結び付けないものの共通点を何か見つけてしまうのだ。


この間「あなたにとってキャリアとは何ですか?」という質問をされたときに、私意識高くないからそんなこと普段は全く考えてなくて、えーっとえーっとと言っている間にとっさに降ってきた答えが「ジェンガみたいなもの」で、そのあと何でそんなこと口走ったんだろうと考えると「少しずつ積み上げていくものだが高く積み上がるにつれて選べる選択肢が狭まって進路がかたまっていく」と出てきたのでそう補足した。

質問してきた人には若干引かれた気がするし、自分でもなんじゃそりゃと思った。


前に受けたWAISには、まさにこの共通点を探す「類似」という種類のテストがある。二つの事物が言葉で伝えられるので、その共通点を見つけて言う、というものだ。

結果報告のときに細かい点数までメモっている余裕がなかったので今となっては正確な成績はわからないけれど、これは言語理解のIQの算出に関わるテストの一つである。そして私は言語理解がやたらと高い。ということは「類似」の成績も相当良くないと辻褄が合わない。例える能力についてお墨付きをもらったようなものだ。


テストでは事物Aと事物Bから共通の性質Cを言うわけだけど、実際例えるときには性質Cを持つ事物Aを性質C'を持つ事物Bに例えるわけだから、まあ掛け算と割り算みたいな関係だよね。ああまた例えてしまった。


たぶん、例え能力が高いので、いろんな面についてジャストフィットするようなものを無意識に選んで引っ張ってこれてしまうのだと思う。


メタファーが思ってたより的確でいつも思考を追い抜いていく。


診断を振り返る

発達障害の診断を受けたときのことを記録として書いておこうと思う。


小さい頃からなんとなくこの世に違和感があるのはあった。まあそれは別の機会に詳しく語るとして。

ツイッター発達障害系の友達ができてからは、自分もこっち側だろうと確信はしていたが、その正体を確定させたい気持ちがあった。

また当時仕事でかなり追い詰められていて、何か配慮を求められるようなポイントがないかと探したいとも思い、それが最後のひと押しになって診断を受けることを決意した。


大阪の某クリニックで申し込んで、たしかだいたい3ヶ月&3割負担で3万円ぐらいかかって診断が降りたはず。

WAIS-Ⅲだけ受けるようなやつではなく、養育者に聞き取りをしたり、MRIを受けたりと結構詳しく見てくれるような診断コースだった。なのでお金はめちゃくちゃかかったけど、まあ納得している。


やったことは、何に困っているかやどういうところが発達障害だと思うかのざっくりとした問診→なぜか難読漢字の読み方テスト→養育者と自分が書く大量の問診票→養育者を連れて行って質問攻め→全脳MRI検査→WAIS-Ⅲ→自分が質問攻め→学校の通知表を見せる→結果発表、という流れだったと思う。もうだいぶ忘れてるからちょっと違うところがあるかも。


問診(票)では、どこかで見たことのある質問に大量に答えることになった。自分ではかなり当てはまるつもりだけど、養育者(私の場合は母親を連れて行った)はあんまり何も覚えていないので悲しくなった。母親も母親で発達に問題がありそうに見えるので、そのせいかもしれない。自分と一緒=普通=印象に残らない、的な。


MRIは不思議体験という感じ。うるさいと評判だけど、私はあの音は嫌いじゃない。リズミカルな前衛音楽のような音が流れるものだから笑ってしまいそうになった。

ちなみにこれを受けたときに謎の変異が見つかって今経過観察をしているので、受けといてよかったなあと思っている。


かの有名な IQテスト、WAIS-Ⅲは頭を使って疲れるけど結構楽しい。でも2回目は受けたくないかな。2〜3時間かかるのでめんどくさい。

結果はこんな感じ。


全検査 134

言語性 129<動作性 135

言語性:言語理解 144>作動記憶 96

動作性:知覚統合 130>処理速度 116


いやもう最初結果見たとき高すぎてぽかんとした。まず私の作動記憶が人並みっていうのが信じられないし、なんなら他も全部体感より20ずつぐらいは高い。まあでも高い人については細かい数値にあまり意味はないと言われたけれども。

とはいえ、高低差の感じは実感にかなり合致していて納得。見せられたグラフのワーメモのひずみ具合が凄くて笑ってしまった。50近くディスクレパンシーがあるのはちょっとえげつない。

ただ動作性の方が高いのだけはよくわからない。運動音痴なのに。


この辺のテストを全部総合して降りた診断は、特定不能発達障害だった。中途半端にしか診断基準を満たさないということらしい。それにADHDはグレーゾーンだと言えるけど、ASDはかすりもしないとのこと。予想外だった。

得意分野で苦手分野を補って人並みのことができてるんだからいいじゃない、というようなことを言われた。

これはちょっとショックだった。頑張っても人並みになれない人がいて、その人よりは恵まれているのはわかるけど、ものすごく頑張らないと人並みになれないのもそれもまたしんどいし、その壮絶な努力を簡単に補うとかいう言葉で片付けたのはちょっとひどい。あまりにも行動主義的。


まあでもとりあえず二級市民にはなれた。手帳を取るつもりは今の所ないけれど、それでも晴れて自分の状態に名前がついた。IQが全てではないけれど、自分の謎にかなり説明がついた。診断をきっかけに状況が整理された。そういう意味では受けてよかったと思う。


結局ややこしいことになってしまったので職場には何も言っていない。どうしたものか。

どっちにしたって現実はきびしく、やっていく or DIEなのである。


浮かぶのはイメージ

そういえば好きなものについて語るということをあまりしてこなかった。少なくともここ数年していない。

今日問いかけられて気づいた。


普通、人の趣味とか好きなもののの知識というのは、山の形になっているとイメージされるのではないだろうか。常識という土台の上に、初級、中級、上級と積み重なって、人それぞれの高さやとんがり方をする、というように。みんなが知ってるものは当然押さえた上で、知ってる人が少ないものへと知識を深めていくのが一般的であるような気がする。


しかし私の世界は先っちょしかない。山の先っちょだけが空中にぽっかりと浮いていて、どこから入ったらいいのかわからない。

さながらラピュタである。


裾野の広い、みんなが知っているものほど私は知らない。世間話に支障をきたすくらいに。常識が欠如しているというやつだ。


正直困ることも多いけど、それよりも自分が興味を持てるかのほうが私にとっては重要なことなのである。興味の持てないものは本当に頭に入らないので。

そしてたまたま、私が興味がないものの多くが世の中でメジャーでベタで常識とされていて、興味のあるものの多くが世の中でマニアックなものとされているのだった。

これがラピュタの生まれるメカニズムである。


昔は島の影を見せびらかしては他の人を怖がらせていたように思う。それに気づいて、島に引きこもって気配を消すようになった。だから大多数の人には、めちゃくちゃ透き通った人間に見えると思う。見渡す限り何の引っ掛かりもない平原。何の話にも乗れないつまらない人間。

たまたま似たところに標高の高い山を持っている人だけが、浮いている島の存在に気づく。


今さら地に足のついた山を築いていろんな人と地続きになることはできないけど、存在に気づいてくれる人というのも、たまにはいる。そういう人とぐらいは交流を持ってもいいんじゃないかなあ。


例え話が暴走しすぎた。


まあとにかく、好きなものについてくらい語れなくてどうする、って今日思ったんだ。

浮いててもいいから、得体の知れない影でなくて登ってもらえるようなロープを投げかけられる人間にならねば。


ということでブログを作ってみました。