221B戦記
小学校にも行っていない小さな頃から、親戚やご近所など周りの大人に褒められるといえば「お利口さん」か「絵が上手」のどちらかだった。その傾向は大人になった今も変わらない。
後者は言葉通りそのままなんだけど、前者に関しては大人しくて聞き分けがよく、言語能力が高かったからだと解釈している。本当三つ子の魂百までというか、ヒトにはそれぞれ個性があるものだなあと思う。
容姿や性格を褒められたことがほとんどないのがコンプレックスだったりするけど、まあその話はまた今度。
今回まとめたいなあと思っているのは受験にまつわる話なんだけど、それに際して私の子供時代から順を追って語っていきたい。
いわゆる低学歴/高学歴の世界、社会階層、文化資本、その辺とも多少絡みのある話になるかもしれない。
またよくあるサクセスストーリーではなく、“十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人”ストーリーとして私の経験はそれなりに面白いんじゃないかとも思う。
だいたい、かつて神童だった人ならものすごく共感してくれると思うけど、世の中はなんやかんやで神童に全然優しくない。むしろ我々は虐げられていると言っても過言ではない。
見よ種々の子供向けアニメの登場人物を。セーラームーンやどれみちゃんやプリキュアといった魔法少女モノだと、たいていアホだけど明るく元気というのが主人公で、頭脳派キャラは脇を固める準主人公的な立ち位置にしか収まった試しがない。ドラえもんだとさらにひどい。0点の代名詞のび太くんが主人公に据えてあると思ったら、かたや秀才の代名詞出木杉くんは準レギュラー程度にしか出てこない。
今より被害妄想っ気の強かった幼少期の私は、アニメというのはどうしてこうも無神経に人の気持ちを考えず、勉強ができる子の人格を否定してくるのだろうと思っていた。たまには100点しか取らない主人公を描いてくれたっていいじゃんと思っていた。じゃないと今ひとつ感情移入しにくい。まあそれでも毎週見てたんだけど。
まあとにかくお前は主人公になどならせてやらない、ピンクじゃなくって青でも着ておけというメッセージをアニメから受け続けて、多少いじけていた幼稚園や小学校時代の話から入りたい。
なお今では青色は大好きだ。
幼稚園の頃の記憶はもうあんまりないけれど、強烈に覚えているエピソードはどれもこれも言葉にまつわるものばかりだ。(まあIQが全てではないとはいえ)大人になって測ってみたIQを見ればそれも納得の結果である。
当時からひらがなカタカナはもちろんのこと、常用漢字程度なら読めたので(一体いつ覚えたんだろう)、園便りや連絡帳の内容を読んでだいたい把握していた。図書の時間に貸し出される絵本は当然自分で読んでいた。みんなそういうものだと思っていた。
が、ある日先生が図書の時間にみんなを集めて言った。「いつもお母さんお父さんに絵本を読んでもらっていると思うけど、今日はみなさんがお母さんお父さんに絵本を読んであげましょう」。私は驚き戸惑った。あれは読んでもらわないといけないものだったのか。そんなまどろっこしいことしてもらいたくないんだけど…。
そして、いつもの本棚と違う本棚が開けられた。そこから取り出され、配られたのは赤ちゃん向けの絵本だった。先生たちは私たちが字を読めないと思っている。
とても悲しくなった。
こんなこともあった。
なんでそうなったのかは忘れたけれど、私が年中のとき、年長のよく知らない子が私につきっきりで絵本を読んでくれることになった。
しかしその読むのの遅いこと遅いこと。言葉の体をなしていない。私は目で勝手に先に文章を追い、年長の子がたどたどしく一生懸命読み上げるのをイライラしながらじっと待ち、早くページをめくりたいと切望し、めくった瞬間に続きを読んでしまい、また読み上げられるのを我慢強く待つというとんだ焦らしプレイをさせられた。
なんでこの子はこんなに読めないんだろう。
やっぱり悲しくなった。
とうの昔に読み書きできるひらがなカタカナを無になりながら練習し、知っている英単語ばかりをリピートし(唯一rectangleは知らなかった)、極め付けは、卒園記念にもらった学習漢字辞典を通しで読んでみたら知ってる漢字しかなかったことだ。いや、蚕だけ知らなくて衝撃を受けたんだった。
幼稚園を卒業すると、地元の公立小学校に入学した。学校とついているのだからさぞや難しいことをさせられるのだろうと思っていた。なんとなく勝手に幼稚園にいたよりも賢い子がいっぱいいるのだろうと思っていた。
教科書をもらったその日に全部読んでみた。だいたいわかった。
授業が始まると点線をなぞらされた。文字ですらなかった。
さすがに何回か点線をなぞるとひらがなの授業になった。またかと思った。
隣の席の子を見た。その子は苦戦していた。
むしろレベルは下がっていた。
そんな風に始まった小学校生活だけど、私は骨の髄まで真面目なのでただただ真面目に取り組んでいた。ただ真面目さのわりに忘れ物が多かった(ADHD的)。
いつのまにか私は神童として君臨していたようだった。公立なので別に言うてわりと平凡な神童(?)なのだけれど、それでも校内では全然君臨できた。
2年生ぐらいだったかな。ある日私は宿題を持ち帰り忘れたので、近所の同級生の子の家を訪問し、プリントを写させてもらうことにした。
そのときその家のお母さんが笑いながら言った一言が忘れられない。「まりあちゃんかしこいから5年生の勉強ぐらいまでできるんじゃない?」何を根拠にそんなことを言うんだろう、変なことを言う人だなと思った。
でもたぶん、今ならわかるけれど、大多数の子供というのはもうちょっとアホっぽいもので、与える印象として私は見るからに賢そうだったんだろう。たぶん。
低学年の頃はまあとにかく自覚がなかったのである。
ところで、大学生ぐらいになってから親戚(市の教育委員会に勤めている人がいる)から聞いた話だけど、私が小学校に通っていた頃にそこで校長をしていた人とその親戚の人が話すことがあって、「親戚の子が、あなたが校長をしていたころの○○小学校に通っていた」と話題に出したらしい。そうしたら、あーあの子ねと覚えられていたらしい。いやお世辞でしょとその話を聞いたときには思ったが、どうも話を聞いていくと本当に覚えてもらっていたようだった。校長先生との絡みなんて特になかったはずなのだけれど、全体を見ている人からしたら、やはり外れ値の子は目立ったのかもしれない。
ただ中にいて自分を見ているかぎりは、自分が外れ値であることには全く気づいていなかった。学年が上がるにつれて、なんとなーくわかってきたのは、私は勉強ができる側の人間だということだけだ。
公立の小学校のテストなんて、なんやかんやでわりとたくさんの人が100点や90点を取れるものだ。そんなに歴然とした差がつくわけでもなく、漠然とできる側とできない側に分かれるだけだ。
当時、学校から離れた地域には傾向としてヤンキー色の濃い家庭や貧困層が多く、学校周辺地域はでかいマンションや旧家があり、比較的お金持ちで教育に力を入れている家庭が多かった。
私は学校から離れた側の地域の中で、そこそこ経済力もあり、ヤンキー色のない家に生まれていた。傾向の中の例外である。そんなものだから近所には友達が少なく、学校の近く=家から離れたところに気が合う友達が多かった。
そして、学校の近くに住む友達たちは、みんなだいたいできる側にいた。でもその中でも、なぜか私は誰からも崇められた。もしかしたら当時を知る人に言わせると別にそんなことなかったのかもしれないけれど、自分としてはそう感じていた。
高学年ともなれば塾に通い始める子も出る中、私は家庭学習らしい家庭学習をろくにしないにもかかわらず、そういう勉強ガチ勢と同等かそれ以上の成績を修めていた。今思えば、ガチ勢の子たちからすれば理不尽の極みなのでは。
6年間通知表にはほとんど傷がなく、それゆえに通知表配布の時間には私にはプライバシーがあまりなかった。通知表見せて見せて攻撃を全方位から受けるのである。私は別にみんなと仲良くできるようなタイプではなかった。クラスには友達もいれば別に友達ではない子もいる。仲のいい子なら別に見せてもいいけれど、普段話さないどころか下に見てくる(私はお察しの通りスクールカーストが低い)くらいの子が、寄ってたかって私の通知表を見てありがたがっているのはよくわからない光景だったし、結局6年間うまいリアクションの取り方がわからなかった。
小学校卒業が目前に迫ったある日、もう話の内容は何も覚えていないけれど、階段を下りながら、当時仲の良かった子と高校の話をした。昔から意識の低い私は、その時初めて学区一番の進学校である公立高校の名前を知ったのだった。私には縁遠い世界なんだと思った。後にそこが母校になるとはこの時予想だにしなかった。
(中学校編に続く)