蜘蛛の糸が降りてきたら

小学校の近くに住む子たちの中に、何人か公立中学に持ち上がりで進まない子がいることを人づてに聞いた。当時意識が低すぎて中学受験というものの存在を知らなかったので、あんまり事態をきちんと把握していなかったが、まあそういうことである。

水面下で(別にめちゃくちゃ隠すようなことではないかもしれないが)(ただまあ落ちたときのことを考えて言いふらさないのがよくあるパターンなのだろう)コツコツ勉強して、私立中学の対策をし、見事合格した人たち。公立ルートとはまた違うルートをたどることになった人たち。

その中には特別仲のいい子が含まれていたわけではないので、その人たちがどういう人生を歩んでいったのかは知らない。

でも後になって、大学で中学受験を経験してきた人たちと出会って、しかもそういう人が大学の中に少なくないことがわかって、「あ、あの分岐はここに繋がってたんだな」とある程度謎が解けることにはなるのだけど。


ともかく私は大多数の人と一緒に、そのまま公立の中学へ持ち上がった。

二つの小学校の校区が合体する形で中学の校区が決まっていたため、学年の半数は知らない子だった。

1週間経ち、2週間経ち、少しずつ打ち解けていく二つの小学校。

そして中間テストの日がやってくる。人生初めての本格的なテストである。中学校のテストが小学校のテストみたいに簡単なわけがない。私はこれで神童をやめ(させ)られると思った。それはプレッシャーからの解放であり、同時に特権的な地位の喪失であった。


蓋を開けてみると、全教科100点ではなかった。たしか90点台ではあった。同じ小学校出身の、私のことをわかっている人たちが点数をしきりに聞いてきたが、答えたら拍子抜けされるとそのときは思った。しかしその見込みは外れた。誰も私ほどの点数を取れていなかったのだ。

結局、私はまた君臨してしまったのであった。


通知表やテストが返されると、やはり私にプライバシーはなく、クラス内に結果を公開された。それどころか、なぜか他のクラスの生徒までが私の成績をつぶさに知っているという怪奇現象さえ起こった。


テストのたびに、私は今度こそ解放と喪失の時に違いないと自分に言い聞かせた。でも成績は特に下がらなかった。他の人たちとの差はどんどん開いた。他の人たちの成績が下がって行くことによって。もはや校内では、誰も私に追いつけなくなっていた。


学年が上がると、少しずつ高校受験へのカウントダウンが始まる。

周囲から受かる受かると言われていた、のちに母校となる公立高校のオープンスクールへ行ってみた。なんとなく好きな雰囲気だった。

違う学校も何校か見学に行ってみたけれど、そこほどしっくりくる雰囲気のところはなかった。


また、私は当時芸術系の高校や専門学校にも興味があった。でも、親と話し合って「潰しがきかない」「使い捨てられる」という(結構偏見に満ちた)アドバイスを受けたり、自分で「趣味の世界は趣味のままにしておきたい」と考えたりして、勉強のほうで行けるところまで行ってやろうと決めた。


志望校が決まり、模試を受けてみた。校外の神童たちとやりあわないといけない場で、生まれて初めてうわ全然書けなかったという手応えを感じた。今度こそ、今度こそ化けの皮が剥がれるときがきたかと思った。井の中の蛙のはずなんだ。

蓋を開けてみると、平凡な神童なのでさすがに名前までは載らなかったものの、偏差値は70オーバーだった。ググりまくって、偏差値の意味をおぼろげながら理解した。

信じられなかったが、今度こそ言い逃れはできなかった。完全にできる側にいると言って差し支えなかった。


そのとき地面が崩れ落ちていくような絶望感を味わった。

私ごときのレベルでそんな上位に入れちゃうんだ。上には上がいることはもちろんわかっているけれど、それでも、死ぬほど雑な言い方をすれば、人間の限界ってその程度なんだ。

おこがましくも、旅行先の田舎で天然プラネタリウムを見て広大な宇宙に想いを馳せたときよりも強く、人間ってちっぽけな存在なんだなと感じた。 まあ今ではその絶望感がある意味では正しくてある意味では間違っていることがわかるけれど。


模試の成績も、回を重ねても大して変わらなかった。受験が差し迫り、他の生徒たちがこぞって塾に通い始めても、私はそこまでする体力がなくて、みんなが行く塾には行かなかった。

それでも、誰にもひっくり返すことはできなかった。


こう書くと完全に独力で勉強ができていたように思われてしまうかもしれないが、実は英語教室には通っていた。一番仲の良かった友達の誘いで、私はその子が小さい頃から通う英語教室に、中1から通いはじめたのだった。

そこの先生は本当にいい先生で、また人間的にもいい人で、私の人生におけるぶっちぎりNo.1の恩人である。もう亡くなってしまったけれど。

ここの教室で英語にみっちり触れていたおかげで、英語の成績も安定していたのはもちろん、ある日人生を変える一大イベントが起こる。少しずつコップに溜まっていっていた水が最後の一滴でついに溢れるように、英文法のおもしろさが突然わかったのだ。連鎖的に現代文の文法も古文の文法もおもしろがれるようになった。つまり大学で言語学をやろうということになったのも、楽しい卒業研究ができたのも、元を辿ればこの人のおかげなのである。


ところで、うちの中学校はまあ荒れていた。授業に真面目に取り組まない生徒たち、くしゃくしゃになって落ちたプリントの山、ちょくちょく割れるガラス。一部の生徒は頻繁に警察のお世話になっていた。

授業の進みは遅れ、ある先生は泣き、ある先生はブチ切れ、病んで辞めていった先生もたしか中にはいた。


そんな中私は真面目にすることしか知らなかったので、毎日黙って教科書を読み、先生の話を聞いて、ノートに書きつけた。

居酒屋並みに騒がしい教室の中で、私はぼんやりと、ここから脱出したい、と思った。

その思いは日に日に増していった。


中3になると、ときどき進路に関する授業というのが行われる。学歴と収入の関係だとか、そんなことが語られる回があった。何も一流大と二流大ではどうだとかいう話ではなくて、高卒以上と中卒では職にありつけるかどうかが全然違うとか、正社員とフリーターでは生涯年収が全然違うというような、もっと基本的な話だ。ヤンキーどもののさばるこの学校で、なんとかそいつらにもうちょっとくらい勉強してもらって、無事高校に入ってもらいたいという先生たちの思惑が透けて見えた。しかし当のヤンキーどもは親父の知り合いが自分の店で雇ってくれるって言ってるからなどと嘯きちっとも真面目に聞いていなかったようだった。逆に真面目すぎる私はしっかりと話を聞き、なるほどこれが世界の真理かと思い、徐々に残酷な現実に気づいていくのだった。

たとえば、この学校には行く高校がないと言われている者や高校に行く気がないと宣う者がちらほらいる。そいつらはその言葉通りならば高卒にはなれない。ならば働き口はまず見つからず、待っているのは緩慢な死……。

突如、目の前に無数の分かれ道が広がっているイメージが思い浮かんだ。それは私たちの輝かしい未来といったほんわかしたものではなく、もっと殺伐とした、恐ろしい気配のするものだった。


中3の受験もかなり近づいてきたころ、私は筋少にハマった。詳しい馴れ初めはここでは省略するが、一言で言うと「この人あたしをわかってる あたしの心を歌ってる 恋したわ」(「ノゾミのなくならない世界」)である。

中でも「蜘蛛の糸」は私の中学時代を象徴する曲だ。いやまあ友達はいたけど。

蜘蛛の糸が降りてきたら 僕は誰よりも早く昇ろう 僕の姿消えた時 みんな初めて僕に気付くのさ」

蜘蛛の糸を昇っていつの日にか見おろしてやる 蜘蛛の糸を昇っていつの日にか燃やしてやる」

荒れ果てた環境から脱出したかった。そして幸いにも私にはそうできる能力がある。ついでに環境を荒らしている張本人たちのことが嫌いだった。

高みを目指すようにして勉強にのめり込んだ。ついでに自分で教材を作っては友達にも分けてあげて友達の成績まで上げたりなんてこともしていた。


「タチムカウ 〜狂い咲く人間の証明〜」もよく聴いた。この曲の歌詞は全文引用したくなってしまうのでもし興味があればググってほしい。

要約すると怯えながら捨て身で何かに立ち向かう曲。怯えながらというのがポイント。私は結局いつまでも確固たる自信を持てなかった。いつ化けの皮が剥がれるのかずっとビクビクしていた。

担任の先生との進路面談で、先生は、あまりにも言うまでもないので、言うことがバカバカしいなあと思っているかのように、ちょっと苦笑いしながら「どこでも行けますね」と言った。

内申点に直結する通知表の数字はほぼほぼ最高評価だった。

それでも私は怯えていた。


あるとき、ヤンキー系の生徒たちとつるんでいるけれど、3年になってめちゃくちゃ勉強を頑張り始め、ぐんと成績を上げてきた女の子が、私の苦手な数学で100点を取って私に勝った。

私だって別にそれまで常になにもかも一位を取ってきたわけではない。誰かに点数で負けたことはいっぱいある。でもそのときなぜか「あ、負けた」と思った。

私はその子に100点おめでとうと声を掛けた。初めてライバルができた。


その女の子は、私と同じ高校を受けるか、もう1ランク落とすか、かなり迷っているようだった。

最終的に、彼女は私と同じ高校を受けることに決めた。孤独な戦いに戦友ができて、うれしかった。


受験当日朝は「221B戦記」を聴いて家を出た。これも全文引用以下略。

会場に着いてみると、門のそばで塾の応援団が列をなして自分のところの生徒たちに激励の言葉をかけていた。私には誰も言葉をかけてくれなかった。どこにも所属していないのだからそりゃそうだ。

でもこの状況に立ち向かうしかなかったのであった。


手応えはまずまずだったが、やはり苦手な数学に不安が残った。戦友の女の子と、休み時間ごとに励ましあった。彼女は数学と英語に自信がないと言っていた。


合格発表の日、一緒には見に行かなかった。そうしてほしいと向こうから言われていたためだ。

結果的にはそれでよかった。私だけが合格していた。

その日家に帰ってから、一人で泣いた。


うちの県の内申点の制度は、最初は成績が悪かったが直前に頑張って成績を上げた人と、最初からずっと成績が良かった人とでは、後者の方を高く評価するようなシステムになっている。

私は後者で、彼女は前者だった。


合格者登校の日か入学式の日か忘れたけれど、そのどっちかの日に登壇した先生が話をした。

「合格おめでとうございます」と言ったそのすぐ後に、大学入試を目指してだか見据えてだか、そんな話を入れてきたものだから、私はとんでもないところに来てしまったと思った。


毎年の恒例行事として、配られた教科書を全部読むというのにチャレンジしてみたが、生まれて初めてそれを途中で断念した。

質、量ともに中学校の比ではなかった。一瞬3年分の教科書かと思ったが全然そんなことはなかった。

急に自分の部屋の中が、ほとんど水で満たされたような感覚がした。上のほうの数センチの空間でしか息継ぎができないような、そんな余裕のない息苦しい感じに襲われた。


ここまで必死にやってきて、しかも客観的に見て成功を収めたにもかかわらず、私は中学の3年間のうちに漠然とした自殺願望を抱きはじめ、それが徐々に形を持つようになっていた。

受験も終わって、考えていた死ぬべき時が来たけれど、思ったより忙しくてつい流されてしまった。なんやかんやでそんなにまだ具体的に死ぬことを考えていなかったのもある。

結局、次の3年間はつらく苦しい3年間になるだろうから死んだつもりで頑張ろうというよくわからない決意をした。


私のメンタルは徐々に壊れ始めていた。


(高校生編に続く)