一生を闇の中で過ごすのか?

高2の夏である。

夏休みの宿題の一つとして、オープンキャンパスに行ってレポートを書けというものが出た。さてどこに行くか。

将来の夢というのも決まっておらず、志望校というほどの志望校もなく、それどころか志望する学部もなかったため(各学部が何をやるのかよくわかっていなかったので)、しばらく考え込んだ。

将来どういう仕事に就きたいんだ私は。いくら自問自答しても高等遊民になりたいという気持ちしか出てこない。

まあでもそれなりに現実と折り合いをつけて当時出した答えは「教師」だった。今にして思えば絶対向いてないしやめといてよかったんだけど、勉強の内容をうまいこと噛み砕いたり、人に何かを教えたり説明したりというようなことは好きだったので、それだけで教職に興味を持った。まあ身近だしね。


で、そうなるとまあ教育大かなあということになる。当時は心理学や教育学にも漠然とした憧れがあったので、そっちかなあという気がして選んだのだった。安直なことこの上なし。

親が買ってきた大学の選び方みたいな本をかなり鵜呑みにして考えていたけど、今思えばあの本はゴミだった。


それでまあ近場の国立の教育大にとりあえず出かけてみたのだった。あんまり好きな雰囲気ではなかった。高校にある程度感じたがっかり感みたいなもののもっと濃いやつがまとわりついていた。なんだかいわゆるキラキラフワフワしたキャンパスライフの匂いがして吐きそうになった(クソ根暗なので)(もっと人間力のある人には素敵な環境なんだと思う)。もっとこう私は凄味のようなものを欲していたのだけど、そこにはなかった。でも、大学ってまあそんなものなのかな、と思った。

体験講義を受けたが、ネタが高校で聞いたものとダダ被りしていてつまらなかった。

しかし私は生粋の受動型で、与えられた嫌なものを嫌と感じる感覚が大部分欠如していた(今はマシだが今もあやしい)ので、そこを志望することにした。(志望とは?)


それからの模試の志望校欄にはそこの名前を書いた。

頭はだいぶ壊れてきていたので勉強していても何も覚えられないし、模試本番では自信のない答案ばかり生成していたが、A判定ばっかり取れた。そもそもそこのレベルがそうめちゃくちゃ高くもないということもあったけれど、いつも手応えを成績が上回るのである。


まあでもこれはそんなに不思議なことではない。高2といえば部活の全盛期。世の中の多くの高2生は部活部活で勉強どころではない。それがいいことなのか悪いことなのかは今は置いておいて、ともかくそういう状態であったから、脳が半壊している人間でもそれまでの貯金だけでまあまあ勝てるのである。


成績がよかったからといって、受験や勉強をナメるようなことにはならなかった。そのくらいまともに勉強ができていない感覚があった。

あるタイミングできちんと勉強することができなくなっても、それまでまともに勉強していれば、たぶん普通成績は急落はしない。むしろ滑空する。失業しても貯金があればしばらく食べていけるようなものだ。

貯金を切り崩して生活している自覚はあった。でも、どうにもならなかった。


こんな状態で私は果たして大学に受かるのか?っていうかそもそもきちんと高校を卒業できるのか?とか思い悩んでいたところに、担任との進路面談があり、そこで予想外のことを言われた。

この辺で一番ハイレベルで全国的にも有名な大学も夢ではない、というのである。相当頑張れば、という留保つきだったが。私はそこの大学の入試科目を一部履修していなかったため、本当に受験するなら独学でやる必要があったのだ。そしてもちろんそれ以外の教科もかなり頑張らないといけないという意味も含まれる。

一方、二番目、三番目の大学ならかなり現実的であるとも言われた。あなたはそのぐらいの力があるしそのほうが合っているようにも思うがそれでも本当にあの教育大に行きたいのか。あそこでないといけない理由が何かあるのか。そんなようなことを聞かれた。

そんなこと言われても成績は滑空しているだけなのになあと、力があるよという話は話半分に聞いていたが、言われてみればその教育大にそんなに行きたいわけではない。問いただされてようやくそのことに気づいた。

自分は旧帝に行くような人間じゃないと信じ込んでいたけれど、合っていると言われたことで初めて興味を持った。現実的な選択肢として眼前に浮かび上がってきた。

受験勉強的にはもうかなり大詰めを迎えるはずの3年生の夏休みだったが、二番目の大学のオープンキャンパスに行くことにした。


その頃にはほとんど遊びというものをすることなく勉強ばかりしていた。遊んでいると不安になってちっとも楽しめないのである。趣味を封印し、家に引きこもって勉強した。最低限必要な息抜きのラインを下回っていたと思う。それでもぽろぽろと学んだことは頭からこぼれ落ちていった。好きだった本や漫画ももうほとんど読めなくなっていた。目が滑って頭に入ってこないのである。

なのに一回だけ、図書館で自発的に本を読んだことがあった。なんでそんなことをしたのかはもう覚えていない。そのときに読んだ本というのが、「日本人の知らない日本語」だった。昔ちょっと流行った、日本語教師の日常を綴ったコミックエッセイで、今読み返してみるとちょっと誇張や簡略化が過ぎていたりしてうーんとなる内容もあるけれども、まあ一般向けの本なのだから仕方がない。でも当時はあの本がとてもおもしろくて、珍しく続編まで一気読みしてしまったくらいだった。

それで、初めてはっきりと自覚的に、日本語の語彙や文法の現象をおもしろいと思った。それまではなんとなく、学校文法ってもうちょっと綺麗に整理できるよねえぐらいしか考えたことがなかったのに。

こういうことがあって、オープンキャンパスでは文学部の言語学系の研究室を見に行こうと決めた。


いざオープンキャンパスに行ってみると、なんだか雰囲気が私にとってよいような感じがした。なんともいえない象牙の塔めいた凄味のようなものがそこはかとなく漂っていて、ああ、これだ、と思った。

好きな研究室を見に行ってよい時間になり、決めていたところに行くと、とある先生が私の相手をしてくれた。が、その先生は私が人知れず悩んでいた発達障害的なコンプレックス(当時はそれが発達に起因するものだとは知らなかったが)を抉るような発言をおそらく悪意なく繰り返したので、私はぽろっと泣いてしまった。アレルギー体質でときどき涙が出るんですみたいな言い訳をした。ここに進学してもこの人には会いたくないなあとそのとき思った。実際進学してその先生の授業を取っても、その先生のことは最後まで苦手なままだった。


帰り道、方向音痴な私は駅への行き方がわからなくなっていた。高校の制服を着たまま地図の看板とにらめっこしていると、親切な学生が声をかけてくれて、道を教えてくれた。

別にたった一人の学生に親切にされただけなんだけれども、大体その人はその大学に在籍する学生なのかもわからないけど(サークルに来てる他大の人かもしれない)、昔から優しい世界の実現を願っていた私はその一件で舞い上がってしまって、一気にこの大学が好きになってしまったのだった。


本当の志望校を得て、私はまだ頑張れるような気になった。が、やっぱり家に着いたら勉強せずに寝てしまった。私の決意なんてそんなものだ。

とはいえ、その頑張れるような気は炎となって私の中で燻り続けた。同時にもう頑張れないような気もしていた。燃え尽きた後の燃え殻を無理やり燃やし続けるような、そんな精神状態が続いた。


(高3後期編に続く)