誰も彼も君を理解は不可能

久しぶりのブログ更新。

ここのところ急にメンタルがダメになって気分が落ち込んでしまった。理由らしい理由はない。色々と些細なことが重なって、ああ自分仕事できないなあと思ったのは確かにきっかけではあるけれども、理由ではない。


仕事(接客業)中はちゃんと笑顔になれるしわりと気分も安定している(ただし注意力はどうも落ちた気がする)のだけど仕事が終わると一気にダメになる。虚空を見つめたまま電車に揺られたり、目に涙を溜めたまま屍のようになって歩いていたり。


駅に電車が入ってくるときはその引力に抗うのにものすごいエネルギーを使う。気力を振り絞っていないと飛び込んでしまいそうになる。

自殺衝動の波はあまりにも強大で、好きな人や物の存在でそれに歯止めがかかるようなことはない。誰が悲しもうが正直どうだってよくて、そんなことより死にたくなる。二度と会えなくても触れられなくても別にかまわない。好きな気持ちが、意識そのものが消えるわけだし。死は全てを解決する。

一筋残った苦痛を恐れる気持ちがかろうじて身体を生に繋ぎ止めている。苦痛を感じるのは生き続けるより嫌だ。


苦痛なく死ぬ権利が早く認められてほしい。

今のところは安楽死というのは海外でばかり行われているようだし、しかも身体的苦痛が著しいような年老いた人に限られることが多く、なおかつ精神障害者は死なせてもらえない決まりになっていたりして、画期的なニュースが舞い込んできたと思いきやはい解散解散となることも少なくない。


精神的苦痛は苦痛ではないのだろうか。苦痛として認めてもらえないのだろうか。

今まで生きてきて何億回も押し寄せてきた津波のような死にたい衝動を、制度という形でそのまま肯定してもらうことはできないのだろうか。

私は今薬で死にたみをごまかして生きているけど、やっぱりたまに目が覚めるというか酔いが覚めるというか、気分がストンと落ちてふと我に返る瞬間がある。

憂鬱で死にたい自分が本当の自分であり慣れ親しんだ感覚であり、生きたいと思う自分はどこか偽物っぽい(薬の効果のただなかにいるときはそれを忘れてしまうのだけれど)。自分を偽らないと生きていけない。そうまでして生きなきゃいけないのだろうか。なぜ?


生がそんなにいいものなのかどうか、私には甚だ疑問である。誰かの自殺を止めることがいいことであるように語られる風潮が許せない。生を押し付けるのはやめてほしい。あなたが生きたいからって別の誰かが生きたいとは限らないのだ。世の中全体があまりにも生ハラスメントだ。


まあ、飛び込みや飛び降りを筆頭に、自殺は迷惑だから、だから止めるんだと言われればそれは確かにそうだ。でも、世の中にちゃんと死ぬための権利や制度がまともに整ってないからそんなことになるのではないのか。死にたいと思ったときに活用できる制度が、誰かが話を聞いてくれて引き止めてくれる電話ぐらいしかないというのは人権蹂躙も甚だしいのではないか。なぜ引き止められなくてはならないのか。引き止められたい人はそれでいいだろう。救われると思う。でも全員がそう思うわけじゃない。むしろ死ぬ手助けを求めているという人はそんなに少ないのだろうか。制度から無視されて仕方ないくらい少ないのだろうか。


でも普通に考えて、自分の人生のことを自分で決められないっていうのは、人権を尊重しましょうっていう昨今の世の中の流れには逆らっているんじゃないだろうか。今の状況は、まるで始めたテレビゲームを一度始めたんだからっていつまでもやめさせてもらえないような、そんなおかしな状況に見える。続ける自由もやめる自由もあるはずだ。

しかもテレビゲームなら自分の意思で始めるけれど、人生に関しては始めてほしいと頼んでもいない。なおさらやめる権利が保障されてしかるべきなのではないか。

もちろん生きたい人の生きる権利はどこまでも保障されるべきだと思う。でもそれと同じくらいの強さで、死にたい人の死ぬ権利を保障してほしい。


ところで自殺はなるべくならしたくない。失敗してより悪い状態で生きなければならなくなるかもしれないし、ほぼ確実に苦痛が伴うからだ。

死にたい衝動に負けてしまったらそんな不確実で苦痛を伴う手段であっても死ぬことを試みるかもしれないけれど、本当は一切の苦痛なく確実に事切れられるのを求めている。

致死量の麻酔を注射するとかが多分一番いいのだけど、医者じゃないので麻酔なんか手に入らないし注射する技術もない。やはり時代は安楽死センターだ。

ちゃんと街中に公的な安楽死センターが建っていればわざわざ電車に飛び込んで痛い思いをしたりはしない。センターに駆け込んで全てから解放されてそれで終わりなのに。


生きたい人は生きて、死にたい人は自由に死ねる。

そんな社会がいつの日か来ることを心から願っている。そういう社会の方がきっとよりよい社会なんじゃないかと思う。