つらまりブログ

つらまったりもしたけれど、私は元気です。

二人で一人の人狼天使

今回はエミュレート(外モード)とネイティブモード(家モード)についてまとめようと思う。あと私が勝手に圧システムと呼んでいるものについても触れるつもり。


エミュレートというのはTwitter(の私のいる界隈)ではある程度通用する用語だと思ってるし、実際発達障害パーソンあるある(ない人もいる)だと思うのだけど、案外詳しく書いた記事とかが見つからない。ので、書く。

ちなみに、私はあえて「発達障害」と書いている。これは自分がADHDグレーゾーン、かつ特定不能発達障害というぼんやりした診断を受けているためである。加えて、ASD傾向も診断未満だけれどなくはない(ASDの知識やASD向けライフハックが自己の理解やコントロールのために実際に役に立っている)という微妙な位置にいるので、この辺をふわっとまとめて指したいのである。ただしLDさんのことは私はよくわからない。まあとにかくそんな風に言葉を使います。


さて、エミュレートというのは、本来はパソコンのプログラム上で仮想のファミコンを作って動かすとかそういうことを指す用語であるらしい(ふんわりとした理解)のだが、それを転用した言葉である。つまり、定型発達者にとっては無意識にできてしまうようなことを頭でいちいち全て考えて行うとか、意識的に定型発達者のような振る舞いをして見せるとか、そういうことを指す。

人によっては人格のレベルから演算して近似してたりもするみたいだけど、私のエミュレータはいわゆる中国語の部屋みたいなもので、「中の人はその意味をよくわかってないけど、こうすればいいというのはわかるので、とりあえず外から観測するとおかしくない受け答えをしている」というレベルのことをやっている。この例えでいうと、人格のレベルからエミュレートしてる人というのは、「中の人は中国語を学習して身につけたので、一応は理解できるけど、母語のようにスッと入ってこない」というような感じと言えるだろうか。どちらにしても、自分で意識的に言動などを調整して定型発達者のふりをし、社会に適応するための一つのスキルなのだ。


私はまともぶることにかけては天才なので、このエミュレートモードが、外出したり、外の人と接するときに自動でオンになる。モードが切り替わるのだ。しかし自動とはいってもほぼ全ての振る舞いを意識的に調整している。どういうことかというと、周りがAT車ばかりの中で私一人が「MT免許を持った人が乗り込んだMT車」になっているような、そんなイメージだ。ちゃんと動いているけど、調整は全て手動で、でもとりあえず調整ができる人が乗り込んできてくれる。操作は手慣れたもので、滅多にエンストなど起こしはしないが、そうはいっても人の手でやっているので、稀にはエンスト(=コミュニケーション事故)を起こすし、どこまで慣れてもATより負荷がかかる。


そう、負荷がかかるのだ。いくら自動でオンになるといっても、エミュレートをやり続けるのはかなり疲れるよう(オンの間は疲れを感じないのでようとしか言えない)で、家に帰るとまた自動でモードが切り替わってオフになる。MT車に今度はMTを運転できない人が乗ってくる。つまり動けない。

動けないというのは比喩ではなく、本当に疲れ果てていてなかなか何もする気にならないのだ。外だとちょっとした雑用なんか率先してやろうと心がけるが、家の中では家事はできる限り親に丸投げしてしまっている。外だと人の御用聞きをして奉仕するような仕事(小売業)をしてそれが特に苦にもなっていないが、家の中だと親に何か頼まれたりするとものすごくストレスで、なかなか言うことが聞けない。

二重人格かってほどエミュレータのオンオフで人が違うのだ。


エミュレートせずに生きている人にとっては、それは親だから特別なんじゃないかとか、外でそんなことをしている反動が来てるんじゃないかとか、そう思うかもしれない。もしくは、キャラを作ったりするくらい誰でもあるだろうに、何を大げさなと思うかもしれない。


でもこれは明らかに反動ではない。外で例えあらゆる仕事を怠けたとしても、余った体力を家に持ち帰って使うというようなことができないからだ。実際主観的な感覚としては、体力ゲージが2種類あって、家の中と外で勝手に切り替わるというような感じがする。外だとHP3000くらいあるものが、家の中だと5ぐらいしかない。たとえ体力満タンで家に帰ったとしても、2995のHPはどこかに消え去り、強制的にHP5にされるのだ。


まあでも、親だから特別っていうのはそうかもしれない。でも、単身赴任中の父親に家で接するのと、単身赴任先のアパートで接するのとでは、感じるストレスがかなり違う、というのはある。

同じことを同じ人に言われるのでも、家の中か外かで感じるストレスの量が違うというのは、キャラ作りでは説明がつかないのではないだろうか。

しかも、キャラを作っているように見える外モードのときのほうが、ストレスを感じにくく、情緒も安定していて、実に健全なのだ。これは痩せ我慢でもなんでもない。我慢するべきイライラをそもそもほぼ全く感じていないのだから。たまには感じるけど。

一方キャラを作るというと、普通、なんでもない風を装いながらも、実は無理をしていて、心の中ではストレスになっていたりする、というものではないだろうか。


とにかく、無理せず自然な切り替わりに任せていると、こんな風になるのだ。あたかも自分というMT車を運転するドライバーが二人いて、場面に応じて交代するかのように。

こういう交代制になっているのは、かなり小さい頃からだったように思う。そうはいっても、外モードの人(?)も昔からここまで運転がうまかったわけではない。どう頑張っても壊滅的に運転できないドライバーと、今はまだダメだが練習すれば運転できそうなドライバーがいて、後者が自ずと外モードを担当するようになったというか…。

たぶんおそらく、エミュレータは意識的に育てようとしないとあんまり育たない。パターン学習と練習が必要なのだ。社会にうまく適応できてない発達障害者には、多かれ少なかれ、社会が要求する程度までエミュレート精度を上げられていないという問題があるような気がしている。もちろん障害の程度や性格等々は人それぞれなので、100のエミュレートをするのに50の努力で済む人と5000の努力が必要な人とがいたりはするだろうけど、小さい頃にエミュレートの必要性に気づいて努力を重ねてこれれば、生存確率は上がるだろう。それが療育のもたらす効果なんじゃないかと勝手に思っている。療育受けたことないけど。

あと、自分のエミュレータの精度を上げるという方向ではなく、要求されるエミュレート精度が低いコミュニティに身を置くというやり方で生き残る方法もあるだろう。


私がエミュレータの必要性に気づいたのは高校に入学したくらいのときだった。その頃、ある日ふと、周りが挨拶をしたり、何かしてもらったらお礼を言ったり、話を聞くときに相槌を打ったりしているといったようなことに気づいたのだ。

私が発達障害者だということを本当の意味でわかっていない人がこれを読むとショックを受けるかもしれないけど、私は正直、その辺の社会的なやりとりは、いまだにあまり意味がわかっていない。なんでそうするのか、よくわからないでやっている。どうしても必要だという感覚がちょっと薄い。

とにかく、自然にはそれをできない自分と、どうも自然にそれをしているらしい周囲とのギャップに、ある日はたと気づいた。

その日から猛烈な努力が始まった(といっても障害が重い人よりはよほど努力量が少ないと思う)。タイミングを見計らって完璧に模倣する。擬態する。意識的に体を動かし続ける。相手を観察し、大量のインプットからパターンを抽出し、適切なリアクションを徹底的に頭に叩き込む。リアクションがワンパターンになりすぎないようにいくつかバリエーションを用意し、乱数を発生させて(本当に発生させているわけではないがそういう感覚なのだ)あえてノイズを加え人間らしい振る舞いへと微調整する。

ここまで頑張っても能力を超えていてできないことはある。たとえば視線絡みのこと。視線の検知とかはかなり弱い。視線を合わせるのも気を抜くとすぐ忘れる。まあそれでも、よく聞き上手だと言ってもらえる程度には、相槌を打つのがうまくなった。本当に、なんで打ってるのかよくわからないで、ただ表層をなぞるように打ってるだけなのだけど…。

でもそういう感じで、人間のふりをするのはだいぶうまくなった。人間のふりをしているといっても信じてもらえないくらいに。まあ、ふりといっても、自分ではわざとオフにすることはできないのだけれど。


話がだいぶずれたけど、一方で家モード、ネイティブモードはどんな感じかというと、最初の方にも少し書いたように、基本的には常に疲れ果てていて、ほとんど何もする気になれない。無理をやめると寝たきりになる、基本姿勢が横族というやつだ。

そうかといって、本当に何も家の中で成していないのかというとそういうわけではない。まあ1日に20時間寝たりはするけれど、それでも趣味に興じたり、やらなければいけないことをこなしたり、外出の準備をしたり、といったことをすることもある。なんだ動けるんじゃないかと言われそうだけど、何もなしでは動けないのは本当だ。これら家の中でできることには、私の意識を乗っ取るだけの魅力か、あるいは何もしたくなさに勝つだけの圧があるのだ。


魅力はわかりやすいから置いておいて、圧とは何か。

たぶん、外からの要求や要請といったものかなあと思う。外の要素のあるものに、私は敏感に反応する。外モードがいくらか乗り移ったような状態になるのだ。

たとえば、私にとって外出は相当困難なことの一つだ。外に出てしまえば外モードになるので何でもできるのだけど、身支度を始めてから家のドアを開けるまでのところがとてつもなく難しくしんどい。ではなぜ仕事を続けたり、友達と遊んだりできているのかというと、それは家の外に属するものから外出が要求されているからだ。具体的に言うと、雇用契約とか、友達との約束だとか。その圧力が所定の時刻に近づくにつれ強まっていくので、あるタイミングで抵抗感のほうが屈服し、晴れて身体は動きだせるといった具合だ。


一方で、「休日に一人でふらっと特に意味もなく出かける」というのが私にとっては困難を極める一大難事業となる。圧が全くないので、何もしたくなさをゼロから克服してやらなければならない。基本的にそれは無理で、それをしようとしていつの間にか出かけられないくらい夜も更けていたという話は枚挙に暇がない。


他にも、お風呂の問題がある。私はお風呂がもともとかなり嫌いで、温泉旅館とかも全くよさがわからない。そうかといって、社会で生活する上で不潔にしているわけにはいかない。つまり外の世界から入浴することを要求されているということになる。こういう場合はとりあえず動ける。


空腹を満たすにも、なるべく食材を加工せずにそのまま食べるとか、すでに調理加工された食品を食べるとか、家の中ではそんなことしかできない。料理の出来上がるのをじっと待つのはとてもしんどく、生煮えでつまみ食いとかをよくしてしまう。この辺はやっぱりADHDグレーっぽくて、報酬系壊れてんなと思う。待てない。

外の人の要求があると途端に待てるから、人が並んでいる順番待ちとかは全然平気なんだけどね。


他にもネイティブモードだと、かなり感情の上下が激しく、人の目をあまり見ず、片付けがダメで、話し言葉に抑揚がない。ほんとダメ人間だなと思う。

ただ、苦痛に耐えて自殺する勇気がない限り、それでも生きていかざるをえない(「踊るダメ人間」)。

あの歌詞はなかなか真理をついていると思う。自分のダメさのあまり、全てぶっ壊すことを夢見たりするかもしれないけど、所詮なかなかそんなことってできなくて、そして社会は本当に厳しく、我々は(ある面では)少数派であるという厳然たる事実が存在し、結局はそれでも自分でなんとかやっていくしかないのであって、できなければ死ぬ(これには社会的な死も含む)、それだけなんだと思う。やっていく or DIE。

それをいつ悟り受け入れることができるか、なのかもしれない。

誰も彼も君を理解は不可能

久しぶりのブログ更新。

ここのところ急にメンタルがダメになって気分が落ち込んでしまった。理由らしい理由はない。色々と些細なことが重なって、ああ自分仕事できないなあと思ったのは確かにきっかけではあるけれども、理由ではない。


仕事(接客業)中はちゃんと笑顔になれるしわりと気分も安定している(ただし注意力はどうも落ちた気がする)のだけど仕事が終わると一気にダメになる。虚空を見つめたまま電車に揺られたり、目に涙を溜めたまま屍のようになって歩いていたり。


駅に電車が入ってくるときはその引力に抗うのにものすごいエネルギーを使う。気力を振り絞っていないと飛び込んでしまいそうになる。

自殺衝動の波はあまりにも強大で、好きな人や物の存在でそれに歯止めがかかるようなことはない。誰が悲しもうが正直どうだってよくて、そんなことより死にたくなる。二度と会えなくても触れられなくても別にかまわない。好きな気持ちが、意識そのものが消えるわけだし。死は全てを解決する。

一筋残った苦痛を恐れる気持ちがかろうじて身体を生に繋ぎ止めている。苦痛を感じるのは生き続けるより嫌だ。


苦痛なく死ぬ権利が早く認められてほしい。

今のところは安楽死というのは海外でばかり行われているようだし、しかも身体的苦痛が著しいような年老いた人に限られることが多く、なおかつ精神障害者は死なせてもらえない決まりになっていたりして、画期的なニュースが舞い込んできたと思いきやはい解散解散となることも少なくない。


精神的苦痛は苦痛ではないのだろうか。苦痛として認めてもらえないのだろうか。

今まで生きてきて何億回も押し寄せてきた津波のような死にたい衝動を、制度という形でそのまま肯定してもらうことはできないのだろうか。

私は今薬で死にたみをごまかして生きているけど、やっぱりたまに目が覚めるというか酔いが覚めるというか、気分がストンと落ちてふと我に返る瞬間がある。

憂鬱で死にたい自分が本当の自分であり慣れ親しんだ感覚であり、生きたいと思う自分はどこか偽物っぽい(薬の効果のただなかにいるときはそれを忘れてしまうのだけれど)。自分を偽らないと生きていけない。そうまでして生きなきゃいけないのだろうか。なぜ?


生がそんなにいいものなのかどうか、私には甚だ疑問である。誰かの自殺を止めることがいいことであるように語られる風潮が許せない。生を押し付けるのはやめてほしい。あなたが生きたいからって別の誰かが生きたいとは限らないのだ。世の中全体があまりにも生ハラスメントだ。


まあ、飛び込みや飛び降りを筆頭に、自殺は迷惑だから、だから止めるんだと言われればそれは確かにそうだ。でも、世の中にちゃんと死ぬための権利や制度がまともに整ってないからそんなことになるのではないのか。死にたいと思ったときに活用できる制度が、誰かが話を聞いてくれて引き止めてくれる電話ぐらいしかないというのは人権蹂躙も甚だしいのではないか。なぜ引き止められなくてはならないのか。引き止められたい人はそれでいいだろう。救われると思う。でも全員がそう思うわけじゃない。むしろ死ぬ手助けを求めているという人はそんなに少ないのだろうか。制度から無視されて仕方ないくらい少ないのだろうか。


でも普通に考えて、自分の人生のことを自分で決められないっていうのは、人権を尊重しましょうっていう昨今の世の中の流れには逆らっているんじゃないだろうか。今の状況は、まるで始めたテレビゲームを一度始めたんだからっていつまでもやめさせてもらえないような、そんなおかしな状況に見える。続ける自由もやめる自由もあるはずだ。

しかもテレビゲームなら自分の意思で始めるけれど、人生に関しては始めてほしいと頼んでもいない。なおさらやめる権利が保障されてしかるべきなのではないか。

もちろん生きたい人の生きる権利はどこまでも保障されるべきだと思う。でもそれと同じくらいの強さで、死にたい人の死ぬ権利を保障してほしい。


ところで自殺はなるべくならしたくない。失敗してより悪い状態で生きなければならなくなるかもしれないし、ほぼ確実に苦痛が伴うからだ。

死にたい衝動に負けてしまったらそんな不確実で苦痛を伴う手段であっても死ぬことを試みるかもしれないけれど、本当は一切の苦痛なく確実に事切れられるのを求めている。

致死量の麻酔を注射するとかが多分一番いいのだけど、医者じゃないので麻酔なんか手に入らないし注射する技術もない。やはり時代は安楽死センターだ。

ちゃんと街中に公的な安楽死センターが建っていればわざわざ電車に飛び込んで痛い思いをしたりはしない。センターに駆け込んで全てから解放されてそれで終わりなのに。


生きたい人は生きて、死にたい人は自由に死ねる。

そんな社会がいつの日か来ることを心から願っている。そういう社会の方がきっとよりよい社会なんじゃないかと思う。

ツアーファイナル、僕らは同じ夢を見た

先日生まれて初めてのライブというものに参戦してきた。ついに、ついについについに、私の信仰対象を、筋肉少女帯を、生でこの目で見ることができた。

ニューアルバム「ザ・シサ」をひっさげた、結成30周年記念のツアーin大阪。筋少が結成30年ならば14歳でハマって今24歳の私のファン歴は10年である。ついさっきまで15歳でハマったように記憶してたけどハマったきっかけを振り返ってみるとたぶん14歳だわ…。


というのも、ハマったきっかけというのがアニメのOPなのである。当時の私はちゃんとオタクをやっていて(今はサブカル女にジョブチェンジしつつある)、当時ハマっていた「さよなら絶望先生」のアニメ第2期(=2008年)が始まる前くらいに第1期を後追いで観て、続けて始まった第2期も観て、その両方のOP(「人として軸がぶれている」&「空想ルンバ」)に心を撃ち抜かれて、オーケンそして筋肉少女帯および特撮の存在を芋づる式に知り、どっぷりハマっていったのであった。

軸ぶれはAメロのギターとベースの感じからして好きだし、屈折した歌詞がどうしようもなくグッときたし、2番の「誰からも支えられてないからさ」のところ(のピアノ)が最高にいい。

空想ルンバはBメロの歌詞が至高。「トキハナツ」とか「タチムカウ」とか、あと「蜘蛛の糸」とかにも通じる、目にもの見せてやる的メンタリティが魂に刺さった。あ、「林檎もぎれビーム!」の「あいつらにだ!」も追加。この絶望先生OP三部作は本当によい…。

話が逸れたけど、まあそんなこんなで筋少に辿り着いてからというもの、常に私の傍らには筋少の曲があった。しんどいことがあれば爆音で聴いて心の支えにし、いいことがあれば爆音で聴いてテンションを上げた。基本的に爆音だった。


そんな私の筋少への思い入れ、おわかりいただけただろうか。じゃあなんで今までずっとライブに行かなかったのかというと、ちょっと怖いような気がしてたのと、なんとなく自分が行っていいような気がしなかったからだ。

比較的激しめのサウンドのバンドだから、見た目も中身も激しい感じの人ばっか来るのかなとか、息の長いバンドだから古参の方々がめちゃ幅利かせてるのかなとか、記憶力がアレで歌詞を覚えきれてないけど睨まれないかなとか、私あんまりはしゃげるタイプじゃないけど周りのテンションについてけるかなとか、というかそもそもライブやライブハウスというものにどこかアングラな雰囲気を感じていて、立ち入って大丈夫なのかなとか、そんなことばかり考えてた。行ってみたら、優しそうなお兄様お姉様方と少数の同年代がいるだけで、全部杞憂だったんだけど。

また、触れたことのないものは「存在しないのと一緒」、つまり(普段通る道についてではなく)人生における無意味オブジェクト(ツイッター文脈)になってしまう節が私にはある。漫画(中学生まで読んだことがなかった)やドラマ(今もまともに観たことがない)、映画(大学生まで映画館に行ったことがなかった)、テーマパーク(初めてユニバに行ったのは大学時代、ディズニーに至ってはついこの間)等々、常識欠落レベルでいろんなものに触れてきていなかった。やってみたらハマるものもあったのにね。

それに、興味が湧いたとしても、何か自分で自分の好きなことを選び取ることにやっぱりどうしても変な罪悪感があって、なかなかそこに飛び込むことができなかった。おそらく、親から与えられたものではないものを摂取することに対する抵抗感だったのだと思う。私の親は「自由にやらせてあげてるよ」という顔をしながら実は相当に支配的なところがあって、そこがすごくしんどいのだけれど、どうしても顔色を窺ってしまって、反抗期もろくになかった。でも今ようやく少しずつ穏やかに反抗している。うるせーよババアみたいな形ではなく、興味の湧いたことに素直に飛び込んでみるという形で。

進学先や就職先を決めたときよりも、今回ライブに行ったときのほうが、自分の人生を自分でコントロールできているような感覚がした。

私も人生楽しんでいいんだなって最近はちょっと思えるようになった。


QUATTROの入ってるビルの麓に着いたら、なにやらパーリーピーポーな方々が列をなしていたので、内心めちゃくちゃ動揺しながら列に並んでみたのだけど、結局そこは全然関係ない別のイベントの列だった。後からやってきた筋少ファンの知らないお兄さんとともにそれを知り一緒に正しい物販列へ。お兄さんは私に先どうぞって言ってくれた。優しい世界、優しい筋少ファンだ…。お兄さんその節はありがとうございました。

物販の場所にいざ着いてみると、ゾンビリバー缶バッジしか買う気なかったのに不思議な力にやられてしこたま買ってしまった。マフラータオルとフェイスタオルとリストバンドと缶バッジ。冷静に計算したら予算(500円)の10倍買ってた。でも最近グッズのセンスがやたらと向上してきたのでほしいものが多いんだよね…。


会場入りすると、わりと真ん中後ろくらいの整理番号だったにもかかわらず、え?近くない?大丈夫?となるステージとの距離感(1F席)。

ライブが始まって本物のメンバーが出てきてからも、あまりにも普通に姿が見えちゃうので、なんだか現実という感じがせず立体投影の動画でも見てるような心地がした。未だに夢か幻かみたいな感じがする。


MCはひたすらおもしろい。オーケンが喋るとみんなが笑う。だんだんネジが外れてきて世迷言を言い始めたり、人のいいお兄ちゃんに戻ったりとテンションが忙しい。ふーみんのことをひらパー兄さんって言ってたの枚方が身近な私としては地味にツボにクリーンヒットした。

なんか今日は終始「ボヘミアン・ラプソディ」の話ばっかりしてた。筋少が映画化したら今夜こそが映画の山場!発言を心にもないおためごかしと自分で言っちゃうオーケン。山場じゃなくてもいいから冗談抜きで映画化してほしい…。10回観に行くのに。

あと、来年じゃなくて今年の紅白にねじ込んでやろうぜ!とか始球式とか。笑いすぎてほっぺたが痛くなった。舞台上でわちゃわちゃするおっちゃんたちがかわいすぎる。国の特別天然記念物に指定すべき。


では曲ごとの感想行きます。やっとです。どんだけスクロールしても終わらない記事になりそうだなあ。


「オカルト」:「セレブレーション」をバックに入場してきたと思ったらまずはオカルト。結構好きな曲。CDまんまの声で(そりゃそう)感動した。オーディエンスがちゃんと拳を振り上げるべきところで振り上げる(そりゃそう)のでまたも感動した。何かここにいる人たちは全員この曲をちゃんと聴き込んで来てるんだ(そりゃそう)ということに胸が熱くなった。そして生まれて初めてこんなに大勢の人の中で浮いてないというものすごい安心感。ああ さよなら人類 献杯


「暴いておやりよドルバッキー」:2曲めからいきなり昔の曲やってくれてあっそういう感じなんだ!?とブチ上がるテンション。そりゃさすがにザ・シサだけしかやってくれないことはないと思ってたけども。いい意味で予想を裏切られた。バッキーバッキードルバッキー。最後の「ニャー!」が楽しい。


「I, 頭屋」:MCが30周年の話になったからだったかな?このあとなるんだっけか?(順番の記憶がガバガバ) サビの「まあだだよ」が楽しい。


「衝撃のアウトサイダー・アート」:ザ・シサの中で一番楽しみにしてた曲。最初のコーラスをちゃんと覚えれててよかった…。


ネクスト・ジェネレーション」:そんなには気になってなかった曲だけど、ライブで聴いて意外と音数多っ!好き!と思った曲。「向日葵」のくだりのライトアップが黄色系だったところは狙ってやってるんだよねとワクワクした。恐るべし遺伝子。


マリリン・モンロー・リターンズ」:うまいことMCから繋がるの巻。若干歌詞覚えてなくて焦った。最後らへんのリターンズ!が楽しい。


「ゾンビリバー」:これもかなり楽しみにしてたので楽しかった(語彙力)。超絶技巧が生で聴けて嬉しい。セリフ部分の掛け合いもよい。ロイロイロイヤボート!


「イワンのばか」:「イワンのー?」「ばかー!」新曲が嫌なわけじゃないけど、新曲もいいんだけど、でもやっぱり昔の曲ってのはテンションが上がる。リアルタイム世代じゃないけどね。


「人間のバラード」:筋少でやったことのない曲をオーケンが弾き語りでやるというのでざわめく会場。曲名が発表されるとどよめく客席。初参戦でもわかるくらいのレア曲を堪能できた。私疾走感フェチだから基本的にバラードってのんびりしてて苦手なんだけどオーケンの歌うバラードは大丈夫。


「夜歩く」インストゥルメンタルバージョン:楽器隊が衣装替えして出てきた。超絶技巧が生で聴けて嬉しいその2。私インストゥルメンタルもすっごい苦手なんだけど筋少の弾くインストゥルメンタルは大丈夫。


「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」:この辺で確かオーケンが衣装替えして出てきた。そんなには気になってなかったけど以下略その2。「Q!」と「Answer!」の回数を覚えられない。人が殺されるとめんどくさい!


「宇宙の法則」:キラキラソング。うつくしい。ちょっと穏やかな曲が続く。リズムが変わるところでノリがよくわからず若干変な感じになってしまうオーディエンス。


「ツアーファイナル」:ライブのシメに聴ける日をずっと夢見てきたけれど、いやまさか中間の曲として出してくるとは。それは予想外だった。

この曲は初めて聴いた時から、「純白のライトに後ろからカッと照らされた状態でステージに立って歌い上げるオーケン」のイメージがすごくあって、今回のライブでのツアーファイナルはまさにそのイメージ通りそのまんまだったから本当に涙出そうになった。


「バトル野郎」:熱い曲が続きます。フリが決まってるぽくて戸惑う新参。でも楽しい。この曲長らくあんまり聴いてなかったけどやっぱりいいなー。よさを再発見。


「再殺部隊」:ふーみんがアコギに持ち替えたから何が起こるんだろうと思って固唾を飲んで見守ってたら再殺部隊始まって鳥肌立った。DEATH!HEAVEN!LIVE!

この曲もいつか生で聴きたい曲リスト上位の曲だったからほんとーーによかった。オーケンが途中の長セリフで堂々とカンペを持ち出し、なおかつその上で噛みたおすのでふふってなった。


「釈迦」:ラストソング。超楽しいー。いつか生で以下略その2。フィーリングのまま叫んだり折り畳んだりしてたらそれで大体合ってた。シャララシャカシャカ!


「機械」:筋少コール巻き起こってからのアンコールその1。めちゃくちゃ焦らすやんと思ったらお着替えタイムだった。憧れの特攻服姿のオーケンが拝めて幸せだった。いつか生で以下略その3。


「ディオネア・フューチャー」:アンコールその2。真のラストソング。いつか生で以下略その4。「無意識!電波!メッセージ!脳!wi-fi!」が楽しい。ちょっと歌詞忘れてた。覚え直します。


とにかく新曲と昔の曲のバランスが絶妙だった。中でも後半の流れは神懸かってた。死ぬまでに絶対生で聴きたい曲第1位(無論「小さな恋のメロディ」)は残念ながらやってくれなかったけど、いつか生で以下略がいっぱい聴けたから、私今日多幸感でラリって死ぬのでは…?と思った。途中で卒倒しなかったのが奇跡だよ。


でも、さんざんこの日1日叫んでみて思ったけど、というか普段からカラオケに行ってて薄々思ってたけど、やっぱり基本筋少にはおっさんコーラスだよなー。自分の、女子の声で合いの手入れてもどうもいまひとつ。いや楽しいのは楽しいけど、やっぱり野太い声の方が明らかにサマになるんだよね…。

私はおっさんになりたい。ライブとカラオケの間だけ。切実に。テクマクマヤコン テクマクマヤコン おっさんにな〜れ。(何歳?)

パララックス・ビュー

っていうかパララックス・レビュー。

筋少のニューアルバム「ザ・シサ」をライブに備えて聴き込んでいるのでとりとめなく感想を書き連ねたい。


「セレブレーション」。

始まり方は「仲直りのテーマ」っぽい。私はインストはかなり苦手なのだけど、こういう曲自体がアルバムの前奏みたいな曲は悪くない。Helloweenの「Keeper Of The Seven Keys Pt.2」の「Invitation」みたいな。ってか「セレブレーション」かなり「Invitation」みがあるような気がする(個人の感想です)。

「Invitation」は「Eagle Fly Free」への繋ぎが完璧なのだけど、ここで「I, 頭屋」が来るのはちょっと意外性。


「I, 頭屋」。頭屋っていう単語をこれを聴くまで知らなかった…。「中2病の神ドロシー」が25年四半世紀、この「I, 頭屋」が30年。今の心境という感じなんでしょうね。「鬼」という単語から若干「ムツオさん」を連想するも(「から笑う孤島の鬼」は?)、そんなことより「置かれたところで狂い咲け」がいい。「狂い咲く人間の証明」ですよねっ。「タチムカウ」ですよねー(あと「イタコLOVE」?)。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」とかちろっと文学ネタを入れてくるのもオーケンらしい。


「衝撃のアウトサイダー・アート」。至高の橘高メタル!この曲が素敵すぎて好きすぎて。正直これだけ聴いて燃え尽きてしまった節がある。最初の方のボーカルとコーラスの掛け合いはちょっと「再殺部隊」とも似てる。ラスサビ直前の「溶ける時間」とかダリっぽくていい。個人的にダリが好きなだけ。

珍しくあんまり他の曲と繋がる要素がない。新境地って感じだね。


「オカルト」。これはMVの先行公開で聴いてた。ちょっとおバカっぽいところと、うねうねする低音と、無駄に壮大なスケール感と、恋愛至上主義が絡み合って非常に筋少らしい感じを紡ぎ出している。「さよなら人類」にたま?と思ってしまう私。


「ゾンビリバー」。普通の感性ではゾンビとリバーはくっつかねえよwwwと改めてオーケンのセンスに感服することとなったタイトル。もちろん歌詞の世界観も頭おかしい。水の代わりにゾンビが流れる川をゴムボートで渡っていく。どうしたらそんなビジョンを閃くんだ。ゴンヌズバー。しかしこの曲テクい。すばらしい。

「タチムカウ」とかにも通じる「でもやるんだよ!」の精神にすごく共感する。目の前がたとえゾンビひしめく川であろうとも人はやっていかなければならないのである。


「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」。意外性に殴られる。「ザジ、あんまり殺しちゃダメだよ」を彷彿とさせる、筋少名物・死人出てるのに曲調超ポップ。

「人が殺されるとめんどくさい」、マジ身も蓋もない。正論である。微妙にコミカルで、絶妙に頭のネジが飛んでいる。でもなんか聴き終わったあと晴れやかでちょっぴり切ない気持ちになるんだよね。不思議…。なんか悔しい。


「宇宙の法則」。オカルティなタイトルのくせにキラキラと瞬く星空のような美しい曲。あまり好みではないがいい曲ではある。「星座の名前は言えるかい」にほんの少し「爆殺少女人形舞一号」を混ぜてサイダーで薄めたような曲(?)。


マリリン・モンロー・リターンズ」。イタコ曲。「イタコLOVE」とはまた違う。「ニルヴァナ」で恐山とか出てきたしイタコというモチーフを忘れてはいないんだろうなとは思ってたけどここでこう来るのかーと思った。ちょっと特撮っぽい曲調な気がする。シャロン・テートとかナンシー・スパンゲンとか過去曲でも名前の挙がってた人名が再登場。こっち方面に詳しくないのにオーケンのおかげで名前だけ知ってる人が増えた。


「ケンヂのズンドコ節」。「おサル音頭」「俺の罪」あたりとも若干似てるかな。いつもの陰謀論要素をがっつり入れてきて、そこに矢をつがえた天使の群れという「ノゾミ・カナエ・タマエ」を思い出させるモチーフを登場させる。5100度の炎かな?と思ってたら矢を射られたり刺さっちゃってたりして結構闇の深い感じに…。


ネクスト・ジェネレーション」。「あたしはなんでかオジさんバンドが好きで 学校じゃ浮いてる それはまぁいいんだけどさ」、全私が共感した。10〜20代の新規筋少ファンにはこのフレーズは刺さるんじゃないかなあ。

「向日葵」の登場が気になる。ひまわりといえば「UFOと恋人」の「ひまわり」だけど、あっちの曲調ってすごく暗いし、くるくる回るし、恋人とは別れてるし。人生の象徴としての面を取ったのかな。

まさか「ひまわり」=バンドマンと別れた当時の若き日のママ、だったりしないよねえ…。さすがに妄想しすぎかな。


「セレブレーションの視差」。「セレブレーション」をちょっと変えた曲?をバックに散文詩が朗読される。なぜか「ワダチ」を連想する。祝福から一転して蜂の巣に変わるところは鳥肌が立った。そして最後の方でさりげなく「猫に見えているものは 実は一斤のパンかもしれない」とか言うので涙が出た。ここで「ケテルビー」とリンクさせるとは。昔一回使ったモチーフを持ってきて別のところでうまいことクロスオーバーさせながら咲かせるというか、そのテクニックにかけてはオーケンの右に出るものはいないと思う。


「パララックスの視差」。この曲もあんまり好みじゃないなー。最後がこれなのはちょっと個人的には不完全燃焼。でもなんともいえない不思議な空気感が漂う。


全体として、好みだけで言えば正直「ゾンビリバー」か、100歩譲って「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」までだけでいいやという感じがしちゃう。それ以降の曲が悪いっていうよりは、「衝撃のアウトサイダー・アート」とその前後が良すぎる。そこでピークが来ちゃう感じ。まあでも私が疾走感フェチだからそう思ってしまうだけかも。

ライブでは一体どうなるのか非常に楽しみ。


と、アルバムレビューのようなものを書いてみて、普段こんなことばっかり考えてるから人と会話ができないんだということがわかった。周りの誰にも通じない。その割にガチファンの人に読まれたらにわかがバレそう。

でも好き。

モルヒネの麻酔のまぼろしさ

この間、トリイ・ヘイデン「シーラという子」を貸してもらって読んだ。訳書であるもののとても読みやすく、没頭して読める本だった。すごい勢いで読んだ。脳を壊してからというものそういう本に出会えるのはわりとレアなことだ。

没頭できたのは読みやすさのためだけではなく、その名前がタイトルにも入っている子供・シーラの境遇や気持ちにかなり共感できたからでもあった。

非常にざっくりとあらすじを説明すると、主人公は特別支援学級の先生(作者=トリイ)で、彼女が受け持つクラスに手のつけられない子供(シーラ)がやってくる。シーラが異常なまでに凶暴で反抗的だった背景には虐待などの不幸な生い立ちがあった。トリイは悪戦苦闘しながらもシーラと信頼関係を築き、やがてシーラも心を開いていく…といった感じ。


この辺からネタバレ及びどす黒い長文になっていくのだけど、途中でシーラが高IQ児であることが判明する。共感ポイントその1。まだ6歳であるにもかかわらず、大人が読むような雑誌から難しい単語を吸収していたり、複雑な文法を使いこなしたり。


私もかつて8歳くらいで家にあった「本当は怖いグリム童話」とか「快楽殺人者の心理」みたいな分厚いハードカバーの本を読んで(うちの親もなかなかのブラック趣味なのでは?)まあまあ理解できた記憶がある。ただし、性的なことを言っている部分はさすがになんとなくしかわからなかったが。でもそういう単語があるんだなってことだけは覚えた。なので私のそっち方面の語彙はまず漢語から蓄えられていった。

それとか、幼稚園や学校で作文とかさせられるときに、他のみんなは主語と述語のねじれた文をよく作っていたが、私はいち早くその辺気づいていて、なぜみんな平気で無頓着にも文をねじれさせるのかとぷんすこしていたぐらいだ。


また、シーラは母親に捨てられている。そのせいで母親に愛されていないと思っている。何を思って、どういう理由で母親がシーラを捨てたのかは作中でも不明のままだが、とにかくそのせいでシーラの愛着は壊れている。そして、ひとたびトリイが自分を大事にしてくれる存在だということがわかると、今度は完全に依存してしまって、少し離れるだけで恐慌状態に陥ってしまうくらいになるのだった。共感ポイントその2。


まあ自分のケースだと表向きは円満な家庭で育ったからここまでひどくはないのだけど、やっぱり私の愛着もわりあい壊れていて、仲の良い人と会ったり長電話したりというときに、別れたり切ったりするのにものすごく抵抗がある。またじきに会える/話せるとはわかっていても、この世の終わりかというほど寂しくて死にそうになる。しかしどうやらまともな家庭で育った人にはなんでそんなに寂しがるのかさっぱり理解できないようだ。


うちの家庭にはあまり優しさや気遣いというものがない。例えば、風邪を引いて寝込んだとしたら、たしかに病院代や薬や世話自体は用意してくれるし、そこが恵まれていることは重々わかってはいるのだが、基本的にまずは怒られる。寄り添うというより突き放すような言動をしつつ、看病をしてくれる。一事が万事そのような調子なものだから、小さな責められが積み重なってボディブローのように効いてくる。割り切って仕事でやってるんじゃないんだから、土台に思いやる気持ちがあってこその看病という行動なのではないんだろうか。

一度この件については話し合ったことがあって、私が「友達はみんな風邪を引いたら優しい言葉をかけてくれるけど、うちの家族の中にそういうのがないのはなんで?」と聞いてみたら、「友達は口だけで何もしないでしょ、家族だからお金も出すし看病もする」といったようなことを言われた。

なんというか、情緒的な絆を軽視して、物質的なつながりばかりを重視しているような、変な回答だなと思った。家族というのは戦略的互恵関係であるべきなのだろうか?結局その話し合いは平行線になったので諦めた。


まあ風邪なんかたまにしか引かないからいいけれど、もっとしんどいのが、私の障害について特に心配する素振りを見せてもらえないことだ。安定している今はともかくとして(それでも疲れ果てて月に何回かは1日に20時間近く寝てしまうことを怒られているのだけど)精神科に通い始めたころに一度はっきり見てわかるレベルで潰れたことがあって、そのときは泣いてつらさや希死念慮を訴えたのに、特に何も変わらなかった。正直これは「別にお前が死んでも構わない」というメッセージだとしか受け取れない。

私の感覚では、自分の子供が病気になったとしたら、心配になって、病気のことを分かろうと必死に情報を集めたり勉強したりし始めるものではないかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

小さい頃喘息でほぼ毎日軽い(入院しないで済むという意味で、夜寝れない程度ではあった)発作を起こしていたときも、特に気持ち的に寄り添ってもくれなかったし、勉強してくれたような様子もなかった。

急に過眠になって毎日床に倒れこんで寝ていたときも、心配するよりも叩かれて怒られた。

ある種のネグレクトだと言って差し支えないのではないかと思う。

精神的ネグレクト。


またうちの親は褒めるということもあまりしない。例えば、テストで98点を取ったとする。それを見せると、まず「どこ間違えたの」と聞かれる。うちの親にとって、98点のテストは、98%も得点できたテストではなく、2%も減点されたテストなのだった。たまに珍しく褒めたとしても、「なんだ、やったらできるんじゃん」というようないまひとつ素直でない褒め方をする。


この「やったらできるんじゃん」というのは、言った相手をすごく苦しめる言葉だと思う。この言葉を言われるたびに、そこが当然クリアするべきラインに変わる。それまでのハイスコア地点に次の回のゼロが移動するのである。

それがどういうことか、わかりやすいのかわかりにくいのかよくわからない解説を書いてみる。

あるゲームを50回行い、1回成功すれば1ポイント貰えるとする。1セット目は頑張って10回成功し、2セット目は2倍頑張って20回成功し、3セット目は3倍頑張って30回成功したとする。普通に考えれば頑張りに応じて1セット目は10ポイント、2セット目は20ポイント、3セット目は30ポイント貰えることになるはずである。しかし、2セット目や3セット目は「1セット目で10ポイント取れてたじゃん」ということでゼロを10ポイントのところまで動かされてしまい、それぞれ10ポイントや20ポイントしかもらえない。3倍の頑張り(10回が30回になった)をしてようやく2倍頑張った(10ポイントが20ポイントになった)と認めてもらえるということだ。そしてもちろん、次は「あ、20ポイント取れるんだね」とそこが次のゼロになる。そうなると、もはや10回の成功は成功ではなく、マイナス10ポイントの失敗ということになる。

おわかりいただけただろうか。要はハイスコアとの比較しかしてもらえないということだ。

そして私の場合、一番の得意分野が学校の勉強だったために、ハイスコア=限界値=100点ということとなり、こうして100点を取っても喜べずに安堵するだけ人間が爆誕したのであった。

学校では随分といろいろ言われた。90点台で喜ばないのは90点台を取れない人からするとムカつくらしい(それはそう)。でもうちでは90点はマイナス10点なんだから、そんなに喜べる結果ではないのだ。


話が逸れたが、こんなのだから私の愛着は壊れている。温かさや安心や頑張りに応じた褒められをもらえずにきたのだから、当然のことかもしれない。「つらいときには、過去に受けた家族や友人や恋人からの(広い意味での)愛を思い出すと、心の支えになってくれる」というようなことを本の中でトリイ先生はシーラに言っていたが、私はその話をされた当時のシーラ同様、それを全く理解できないでいる。心の中に帰るべきところなんてものはない。過去の愛とはすでに過ぎ去ってなくなってしまったものであって、何かが残るわけではない。今現在愛を受けているかどうかが全てだ。そんな感覚がある。だから仲の良い人と過ごしたときの別れ際=愛の供給のストップがとてもさびしい。


さらに温かさの代わりに冷たく責められ続けてきたためもあってか、自己肯定感がものすごく低くなってしまった。自分はヒトだ、というのと同じくらいすごく基本的で素朴な信念として、自分はゴミだ、という気持ちを抱いている。それが邪魔して、誰かから褒めてもらえるとまずは不信感が顔を出す。心ここにあらずで聞き流してしまう。それではいけないと最近少しずつ受け取るよう努力してきたけれど、頑張って飲み込んでも吐き戻してしまう。


自己肯定感を高める、とかでググると、「自分で自分を褒めてあげましょう」みたいなアドバイスしか出てこないけれど、そんなこと想像するだけでしんどい。拷問みたいなものだ。それでいつも画面をそっと閉じる。そんなしんどいやり方でしか改善できないんだったらこのままでいいやと思ってしまう。もっとこう、足のこのツボを1日5分押し続ければ3週間で自己肯定感がアップしますみたいな、そんなあやしいダイエットの広告みたいに事が運べばいいのに。


まだまだ色々プチ毒親エピソードは山ほどあるけれど、書いていたら人生初期値の失敗具合にしんどくなってきたので今日はこの辺でやめる。

さらば目に映る総て達

今度は高3後期編です。フィナーレ。


今度こそちゃんとした目標のようなものができて、一時的に多少元気になった。そうは言っても予備校に通う元気は出ず、我も我もと予備校に通い始めるクラスメイトたちを尻目に、私は山のように来る予備校からの招待状(進学校の生徒は進学校の生徒であるというだけで大手予備校から引く手数多であり、入学金を免除するだとか、授業料を割り引くだとかの特典のついたダイレクトメールが死ぬほど送られてくる)を全部ケシポンをかけて古紙回収に出していた。


私はほとんど遊ぶことなく勉強ばかりして過ごした。その頃の楽しみはといえば、ひょんなことから仲良くなったクラスメイトの男の子との絡みだった。もちろんあまり多くはない同性の友達と普通に過ごすのも楽しかったけど。

彼とは謎にLINEだけしたり(学校ではそれぞれの同性の友達といた)、彼の趣味のサポート(彼は面倒だからと隠しているが、とある趣味で世界レベルの腕前を持っていて、大会で学校を休むことがあり、その間のノートを取っておいてあげたりした)をしたり、青春にしては微妙な青春を送った。

別にその子のことが好きだったわけではないし、結局そんなに性格も合わなかったので今では疎遠だ。でもまあ不思議な思い出の一つとして頭の片隅に転がっている。


日が短くなっていくにつれて、私は一人で過ごすことが多くなった。友達がいなくなったわけではなくて、本当にみんなして放課後は塾に行ってしまうので、あまりだべったりするような感じにならないのである。私の精神状態もかなり悪かったし。その代わりに、私は学校の自習室や図書館に引きこもって勉強した。たまに誘惑に負けて帰ったり、今日はいいやと寄り道して雑貨屋さん巡りをして帰ったり(今雑貨屋で働いているのは、このとき雑貨が好きになったことが大きい)という日もあったけど、基本的には毎日、居残って勉強して帰る生活をしていた。それでも成績は少しずつ下がっていったし、朝は起きられなかった。毎日毎日滝のように降り注ぐ課題の雨をとりあえずこなすことに精一杯で、ちゃんと身についている実感が全くなかった。どうせぽろぽろとこぼれていくんだろうと、もはや少しでも拾いに行こうという気を失いつつあった。


かなり寒くなってきた11月のある日だったと思う。「ペテン師の 最期に見る夢は 11月の森の向こうへと」という「ペテン師、新月の夜に死す!」の一節がこの思い出には絡みついている。能力と前途のある若者のふりをしている私はペテン師なのだ。オーケンはよくペテン師を歌詞に登場させる。

その頃はもう相当頭がおかしくなっていて、鬱でほとんど生きる屍のようになりながらそれでも毎日勉強はしていた。いや、勉強をサボって苦痛のない死に方をググっては、それを陶然として読み漁り、時間を忘れた。

それ以外の時間は、鬱が脳を支配していて、あんまりまともな考え事ができなくなっていた。私はわりと言語で考えるタイプなのだけれど、その思考の文章の文節ごとに、死にたいとか生きていてはいけないとかそういう鬱ワードが自動挿入されてしまい、まとまった意味のあることを考えるのに多大なエネルギーが必要になるようになってしまっていたのだ。

視界は濁った灰色で、どろりと空気は重く、ただ生きているだけで疲れ果てた。死ぬことだけが心の支えだった。でも流れに逆らう力が弱いので、そのまま流されて生きていた。

でもその日は、いつものように勉強して帰って、詳しい流れは忘れたけど、自分の部屋でベルトをベッドの柵にかけて、首を吊ろうとした。そのとき階下で母親が何か家事をしているような気配がした。親が悲しむとかはもうその頃からあまり考えていなかったけど(関係がそんなによいわけではないので)、見つかったら大騒ぎになるなあとか、途中で止められたらどうしようとか、そんなことがわーっと頭を駆け巡り、いやそんなことより死ぬのは怖い、とふと気づき、輪っかを頭から外した。

ちょっと目が覚めた感じがした。

また次の日から、何事もなかったかのように過ごした。誰も何も気づかなかったし、特に心配されるようなこともなかった。やっぱり私はまともぶることにかけては天才なのだろう。


ぬるい自殺未遂から生還したあと、あることを閃いた。何も現役で進学しなくてもいいのではないか。今年は浪人前提で受験し、一年かけてゆっくり準備し、万全の状態で「本番」に向かえばいいのではないか。なんで今までそんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。私は久しぶりに、うきうきしたような気分となった。少し生きる気力が湧いた。

しかし後で親に聞いた話だと、私が浪人すると言い始めたころは悲壮感がすごくて心配したと言っていた。

この人たちの目は節穴なんだと思う。


たしか面談の機会があったとかで、担任に浪人することを相談した。今年も真面目に全力でやるけれど、滑り止めの私立は受けないし、本当のゴールは1年先に置く、と。担任はその決断に反対するようなことはしなかった。たぶん、現役合格が危ういくらいに私の成績が下がってきていたからだろう。普通のマーク模試や記述模試ではDとかEとかの判定を取りまくっていたし、その大学を志望する人のための特別な模試も大概ボロボロだった記憶がある。


気温が下がるにつれて、私たちはより多くのマークシートを塗りつぶすようになった。センター対策である。学校でも1教科1年分の問題を本番さながらに解いたりとか、さらには授業をぶちぬいて全教科1年分の問題をぶっ通しで解いたりだとか、そんなことをやるようになった。冬休みもひたすらセンターの過去問を解いた。友達とLINEでいっせーのーでで問題を解き始め、所定の制限時間後に点数を報告し合うようなこともした。1教科1年分やるのに最低でも50分かかるから、すぐに勉強時間がかさみ、1日10時間ほど机に向かっていることも多くなった。集中がなかなかもたないからと自分をベルトで椅子に縛り付けてみたこともあった。これが意外と集中できてよかった。


センター本番は、大荒れの年だった。普段の傾向と全く違う問題が出たのだ。のっけから随筆。動く点P。聞いたこともない哲学者。それに加えて集中力をかき乱す些細なツッコミどころの数々。シイゼエボオイ、エンドゼエガアル。スピンスピン。そうあの年度です。

だが私は緊張のあまり逆に動揺することなく、何かそれはそういうものとして冷静に解いていた。

自己採点の結果、結果は7割6分。もともと不安定だった数ⅡBが4割だったのが足を引っ張った。そもそも実力が大して無かったのもあるが、そのほかの教科もいまいちパッとしない。過去問ではほぼ毎回満点を取れていた得意教科の地学でなぜかミスをして9割しか取れていなかったのも残念ポイントだ。コケたと言って差し支えない結果だと思う。

志望校志望学部の去年のボーダーは8割5分。問題傾向の変化から、大手予備校のセンター自己採点集計サービスで算出された今年のボーダーは8割にまで下がったけれど、それでもかなり足りすにD判定。まあ、そんなもんだよな、と思った。

ちなみに3社分くらい自己採点集計サービスに出した(学校から出させられた)けど、1社に提出する科目のマークをミスってちゃんとした結果が返ってこなかったという不注意エピソードがある。結果見たときはセンターのほうを受け間違えたかと思って心臓止まりかけたよね…。先生も職員室で結果見て呆れてたんじゃないかな。


センターが終わってから数日して、友達3人とセンターお疲れ様会と称してお昼ご飯を食べに行った。そのときその3人の中でも一番頭が良く、噂ではこの辺で一番ハイレベルな大学にでも行けると言われているらしいという子が言ったセリフが強烈に頭に残っている。「何か、あんなに日本史とか頑張って全部覚えたのに、センターの1日で使って終わりって、もったいないよね」。

なんにも日本史を覚えていなかった私にはそんな感覚は全くなかった。なんなら私はセンター日本史はほぼほぼ勘で解いていた。このセリフに共感していた残り2人の友達たちも、私のはるかかなた上の高みに到達していたのかと思うと、その場から消えてしまいたくなった。あと1年かけて、ちゃんと勉強し直したいなあと心の底から思った。「そうだ!撮り直すんだ!人生は映画なんだ!」「君の人生を撮り直すんだ!今度はハッピーエンドだ」。「リテイク」の一節が頭に浮かんだ。


センターが終わるとすぐに前期試験の日がやってきた。私は捨て身で来ているので何も怖いものなどなかった。それにしても出来上がった答案がかなり白紙だったのでさすがに恥ずかしくなった。それでも後で返ってきた試験の結果を見てみると下にまだ100人近く人がいたので、自分のことは棚に上げてオイオイちゃんと勉強して来いよ〜と思うなどした。もちろん前期試験は落ちていた。


前期試験が終わると次は後期試験、小論文である。前期試験直後は小論文が何なのかもよくわからないレベルだったが、図書館で見つけた指南書と、先生の特訓指導に助けられた。

指南書で何をすべきかを掴むと、後は持って生まれた言語能力の高さで乗り切ることができた……と言いたいところだが、ワーキングメモリのなさと処理速度のとろさのせいで、紙に手書きで頭から順番に書いていく形で文章を書いて仕上げるのはめちゃくちゃ苦手なのである。最初は3時間でやらなきゃいけない問題を全部解くのに8時間ぐらいかかっていた。しかし、先生に何度も添削してもらううち、かかる時間が半分くらいになってきた。それでも、3時間は切れないでいるうちに、後期試験の日がやってきた。


そのとき出題された問題は、わりと私の趣味のフィールドの問題だった。いける、と思った。人一倍小高いケシカスの山を作りながらも、なんと5分残して全ての問題に答えきることができた。


とりあえず、全てが終わった。浪人すると決めたのだから始まりでもあるのだけど、とにかく今はほっとしていた。

緊張の糸がぷつんと切れた。

次の日から2週間ほど、私は狂ったように活動し始めた。もう制服を着られなくなるからたくさん服がいるなあと思って服を買いに行くことにしたところまでは覚えているけど、気がついたらいくつも店を回って何万円も服やら鞄やらを買うのに使っていた。コミュ障ゆえ苦手だった店員さんとにこやかに喋りまくり、オススメのコーディネートを聞いていた。行ったことのなかったオシャレ美容院にも行ってみた。そこでも別人のようによく喋った。

世界が輝いて見えた。楽しくて仕方なかった。

これが後々精神科で喋ったら一発で軽躁認定されて双極性障害Ⅱ型の診断が降りたエピソードである。私は文字通り狂っていたのだった。

ここまでちゃんと軽躁してたのは幸い後にも先にもこのときだけだ。


浮かれた日々を過ごしていた私だったが、ある日奈落の底に突き落とされる。合格発表の日である。

今日日いちいち現地まで出向かなくても大学の公式サイトに合格者の受験番号が出るようになっている。その日も朝のんびり起きて、発表時間をだいぶ過ぎてから何の気なしに公式サイトを見てみたのだが、なんとそこには自分の受験番号が載っていたのだった。

それを認識した瞬間、自然と涙が溢れてきた。もう私はやり直すチャンスを永久に失った、と思った。嬉し涙ではなかった。辞退しようかとさえ一瞬思った。でもそんなことができるわけがない。

ひとしきり泣いてから、親に受かってたと言いに行った。ほどなくして分厚い封筒が家に届いた。諸々の手続きまでの時間があまりに短くて、それからは大忙しになった。


結局、蓋を開けてみると、センターは合格最低点ジャスト(!)、二次は最高点に次ぐぐらいの点数となっていて、ギリギリ一桁順位で通っていた。まあ分母が数十人とかなのだけど。


4月に入ってしばらく経つと、いろんな噂が聞こえてきた。同じ大学同じ学部を志望していた友達が前期で落ちて後期で別の大学に行った。センターの後お疲れ様会をした3人のうち2人も第一志望には入れなかった。クラスの中で一番頭がいいと噂されていた男の子も結局落ちて私立に行ったという。地元の友達も複数玉砕していた。同じ高校に行くはずだったあの子が第一志望に落ちたと聞いたときは堪えた。

私より頑張っていたであろうみんなが落ちて、ろくに何も身につけられなかった私が小手先と付け焼き刃でひとり受かっていた。


蜘蛛の糸を昇った末に辿り着いた世界は、どうしようもなく残酷だった。


(おしまい)

冬は狐の革裘

今日は高3後期編じゃなくて号外。


異動することになった。

今までの環境は最高に好きだったけど、まあ仕方ない。


このタイミングで「ポケットに偶然入ってたんだ」って言いながら本当は用意しておいてくれた中原中也の詩集を餞に渡されたら泣くと思う。

なぜなら特撮に「じゃあな」というすごい好きなお別れの曲があって、そういう歌詞だから。

いつか誰か何かのときにやってくれないかなーと夢見ているけどまあそんな曲を知る人もなく…。


まあでもそうしてもらうためには、大丈夫だよと前を向いて歩き出さないといけない。

じゃないと呼び止めてもらえないから。